36代目総選挙 開催:2017年08月02日~07日

 

サーバの悲劇を越えてゆく人の巻

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歌題『 ほとんど 』

見えるものほとんどぜんぶをそらにしてジャングルジムを駆け上れ、夏

第36代うたの人

首席 62pt 桃×7 黄×11 緑×9 Bonus

えんどうけいこ淡海わこ可奈美きつね知己凛ひの夕雅五條ひくいちルナク小泉夜雨WPP梶原一人井筒ふみえだまめ久哲御殿山みなみ天田銀河岡桃代といじまあおきぼたん大西ひとみ中牧正太静ジャックなぎさらさ姉野もね諏訪灯伊藤みこ


思い切りがよくて爽やかで、いかにも夏らしい一首ですね。ぱあっと広がった青空にそびえたつジャングルジムは、希望の象徴のように感じます。えんどうけいこさん

勢いのある歌ですね。ジャングルジムにのぼれば、きっと視界をさえぎるものはないように見えるのでしょう。きっと主体は高層ビルなんかが建っていない、そういう場所にいるのではないでしょうか。知己凛さん

顔を上に向けて、ジャングルジムを今まさに上っている様子が浮かびました。爽やかな印象を受けました。きつねさん

「空」へ至るまでの畳み掛けるようなひらがなの連続が、ジャングルジムを駆け上る様子とリンクして読み手に勢いがあると感じさせているのかもしれないと考えました。結句の「、夏」というのはどう評価したらいいか悩みました。主体は誰に「駆け上れ」と言っているのでしょう。「夏」?読者?このお歌の景にはたしかに春夏秋冬では夏が相応しいとは思います。私だけの感覚かもしれませんが、一首の中でこの「、夏」だけ浮いてしまって感じます。でも爽やかさ、エネルギッシュさを感じる気持ちの良いお歌と感じました。五條ひくいちさん

力強く、爽快感のある歌で、勢いのある歌い方もよくマッチしていると思います。主体は親で、この夏の子どもの大きな成長を願っているのかなと読みました。ほんとうにすがすがしくてのびやかなだけに、「ほとんどぜんぶ」という表現が少しもったいないようにも感じました。いっそ「ぜんぶ」と言い切ってしまうほうが、(もちろん現実はジャングルジムを下から登っている以上、すべてが空になることはないのかもしれませんが))良さは生きるように思います。厳密には「ほとんど全部」なのかもしれないけれど、一首の歌としては言い切る効果のほうを優先してもいいように感じました。天田銀河さん

夏空へと視点が上がっていく爽快な歌です。それでいて、ジャングルジムをのぼる怖さへの配慮が残っています。詩情のほとんどを空の青に振って、残りの部分に現実的な感覚を残していることで、リアルな感覚をもって共感することができます。御殿山みなみさん

ジャングルジムをのぼっていく子どもの様子と、それをあたたかく見守る主体の視線が感じられました。とてもいきおいのあるお歌で、いいと思いました。岡桃代さん

上の句の表現が大胆かつ勢いがあってとても好きです!ジャングルジムというと「よじ登れ」という感覚なので「駆け上れ」で少しだけ止まってしまいました。ただ「よじ登れ」より「駆け上がれ」の方が勢いが出ているなぁと思いました。あおきぼたんさん

「駆け上れ」という命令形に躍動感を感じます。ただ「空」というどの季節にもそこにあるもの、「ジャングルジム」という無機質なものなので、結句の「夏」という言葉だけでなく、もう少し夏のジャングルジムらしい手触りや、夏の空の様子が歌の中に欲しいようにも思いました。桔梗さん

ほとんどが水でできてるカラダでも別れの朝は泣かないでいる

2席 62pt 桃×3 黄×21 緑×5 Bonus

幸香寿々多実果淡海わこ知己凛ルナク小泉夜雨WPPえだまめしちみとうみやこどり御殿山みなみけら街田青々天田銀河岡桃代侑子といじまあおきぼたんもーたろみちくさ大西ひとみ中牧正太静ジャック甘酢あんかけ姉野もね諏訪灯伊藤みこCIPHER


カラダのほとんどが水なのに別れの朝に泣かずにすごく頑張っている(我慢している)様子が浮かびました。泣くのは簡単ですが泣かずに我慢するのはそんなに簡単なことじゃないのでほとんどが水でできてるという言葉が泣かないでいるを強調しているように思います。幸香さん

「ほとんどが水」で出来ているのにもかかわらず「泣かないでいる」ということなので、主体はかなり悲しみを抑圧しているのだろうなと捉えました
単に涙を出さないということだけでなく、乾いてしまった二人の関係を表現しているようで、いいなあと思いました小泉夜雨さん

身体のほとんどが水という発想はあるだろうなと思っていましたが、この切り口は新鮮だと感じました。意味もスムーズに通りますし、逆転の発想で強い意志を表現しているところがよいと思いました。天田銀河さん

「泣かないでいる」としてあることで主体の意志が垣間見え、それによって「ほとんどが水で…」の部分も際立ってとらえられるなと感じました。言葉の選び方、見習いたいです。しちみとうさん

別れの時と言うのは、案外リアルと言うか現実味があって、涙が出なかったりするものですね。
でもカラダはほとんど水でできている、と言う対比も良いなあと思いました。大西ひとみさん

こんなにも涙をこらえるのがつらいのは体のほとんどが水だからだ、ということでしょうか。とても説得力がありますね。恨み言は一切言っていないし、泣いてもいない、だからこそ悲しみが伝わってくると思いました。あおきぼたんさん

どういう類の別れかわかりませんが、死別というよりは恋愛関係の別れのような印象です(文体の若さ的に)。「ほとんどが水でできてるカラダ」だから普通は泣いてしまいそうだけれど、そこは泣かずに我慢しているのでしょう。「でも」という屈折感がよい感じです。
桔梗さん

ほとんどをあかで塗りをり絵日記は昨夜の二尺玉の衝撃

3席 60pt 桃×3 黄×20 緑×7 Bonus

えんどうけいこ淡海わこ可奈美きつね知己凛ルナクWPP梶原一人えだまめ久哲みやこどり宮本背水けら街田青々天田銀河侑子あおきぼたんもーたろ京一荻森美帆西村曜中牧正太静ジャック七緒なぎさらさ姉野もね桔梗諏訪灯伊藤みこ


花火があまりにも大きくてびっくりして、「紅」をたくさん使って絵日記に書いたのでしょう。ただ、「衝撃」という言葉にはネガティブなイメージが含まれているように感じるので、何か別の言葉のほうがベターではなかったかと思います。えんどうけいこさん

こどもって、強く印象に残ったものをシンプルに絵に描きますよね。大きな紅い花火に感動した夏の夜の様子が浮かびます。可奈美さん

ほとんどを紅で塗っていることから、近い場所で花火を見たのだとイメージしました。そのイメージもあり「衝撃」という言葉から、音や空気の揺れも感じることができたので「衝撃」はいいチョイスだと思います。
絵日記の書いた人(おそらくは子供だと思いますが)が受けたインパクトがこっちにまで伝わってきます。きつねさん

主体のお子さんが描かれた絵日記なのでしょうか。その紙面のほとんどを紅く塗られていたところから、昨夜一緒に見たニ尺玉の花火に衝撃を受けた様子を感じとったのだと思うのですが、「衝撃」とまとめてしまわない方がよかったように思いました。桔梗さん

主体は親で、子どもの絵日記を覗いている
情景を思い浮かべました。大人だとこれまでの経験や知識、イメージなどがあるので、こういう描き方はなかなかしないと思うのですが、子どもがほとんど紅に塗ってしまったところから、本当に衝撃というのにふさわしい花火を見た体験だったのでしょう。「ほとんど」の使い方にも必然性があると思います。天田銀河さん

おそらく絵日記を描いたお子さんは初めての花火大会だったのでしょう。あるていどの基礎知識のある大人がみる花火とそれのない子供の見る花火とでは印象はかなりちがうものになるはずです。空一面に広がる二尺玉の美しさとあの爆音はまさに衝撃だったのでしょう。ほとんどの使い方もしっくりくる良い歌だと感じました。ルナクさん

絵日記なので、おそらく小学校低学年あたりのお子さんをもつ親が主体となっているのかなと思います。お子さんはおそらく見たままを絵日記に書いていると思うので、結構な大きさの花火だったのかと思います。目の前が真っ赤になるような花火の「衝撃」を表わせていると思います。また、ほとんどの使い方に不自然さがなくいい歌だと思いました。橙田千尋さん

祖母の眼はほとんど見えず窓外にひろがる海は青青と凪ぐ

4席 56pt 桃×5 黄×13 緑×8 Bonus

えんどうけいこ可奈美知己凛ひの夕雅ルナク小泉夜雨えだまめあひるだんさーしちみとう倉橋千帆宮本背水けら街田青々侑子といじま京一大西ひとみ荻森美帆もも中牧正太静ジャック甘酢あんかけなぎさらさ姉野もね桔梗


おばあさまの眼には、窓の外の青い海は見えていないのですね。感情を排除して事実だけを淡々と述べた一首ですが、「青青と凪ぐ」が切ない情感をもって胸に迫ってきます。きっとおばあさまは、海のようにおおらかでやさしい、心の広い方なのではないかと想像します。えんどうけいこさん

目はほとんどみえないけれど、残った嗅覚や聴覚で青青とした海の匂いや、風が止んでいる、凪の様子はきっと感じられるのではないかと。
「ほとんど」ではない部分が活かされていると思いました。やさしい歌ですね。知己凛さん

祖母にはきっと窓外の風景が色彩の融和のように見えているのではないかと思います。空も海も青いので、視界はほとんど青で、しかもあいまいに淡い青のグラデーションなのではないかと想像されます。ほとんど見えていない目を通して伝わるそういう色彩やだけでなく、風や波の音、海のにおいなどもそこに感じられると思いました。天田銀河さん

祖母の人生が今は凪である、そして見えていた頃は波の高い波乱万丈な人生であったのかもしれないな。なぜかそう読めました。青青がいいですね、祖母の人生の深さを感じました。大西ひとみさん

なんて穏やかな歌でしょう。
静かな波音、潮の香り、そして見えるものは海の青だけ。
窓の内側は病室でしょうか。祖母に寄り添い二人とも海を眺めている姿が浮かびます。優しい気持ちになりました。倉橋千帆さん

海の近くに住んでいるのでしょうか。
ほとんど眼が見えない祖母にも、海は海としてありつづける感じがよいです。桔梗さん

ふたりして見てゐる花火 去年までほとんど知らないひとだつたのに

5席 53pt 桃×2 黄×19 緑×10 Bonus

西村湯呑幸香えんどうけいこ淡海わこきつね知己凛ひの夕雅ルナクなな小泉夜雨WPP梶原一人えだまめ久哲しちみとう御殿山みなみ宮本背水街田青々天田銀河岡桃代といじまあおきぼたんもーたろ荻森美帆もも西村曜中牧正太七緒甘酢あんかけ伊藤みこ


相手とは今年に入ってから深く付き合うようになって、花火を一緒に見ているのでしょう。このようにささいな、多くの人に経験がありそうなことを丁寧に歌にしているのがとてもいいと思いました。「ふたりして」がなんともあたたかな雰囲気を出しています。えんどうけいこさん

「ほとんど」の使い方が自然で、とても分かりやすい歌でした。なのに、「あのときはまさか今頃こんな風になるとは思っていなかった」という、誰にでもある、ある種の運命の不思議のようなものがしっかりと見えていて、そこがよい点だと思いました。天田銀河さん

ふたりの一年になにがあったのでしょうね。ストーリー性を感じさせます。全く知らない、と詠めたのならもっと劇的なのですが、お題がほとんどですから仕方がないですね。
ふたりしての言い方に、ふたりともが一緒に恋に落ちてしまったという感じに読めていいなと思いました。大西ひとみさん

毎年あるであろう花火にまさかこの人とという感慨に、ほとんどが効いていると感じます。名前だけは知っていた、くらいでしょうか。その程度の関係性だけをにおわせるからこそ、一年間の背景の想像がひろがります御殿山みなみさん

「ほとんど」の使いかたがとても好きな歌です。ふたりの間に流れた一年という時間の中にさまざまな想像が広がりました。落ち着いた景が浮かぶ大人の歌だと感じました。倖さん

君のいうほとんど丸い十六夜いざよいの欠けた部分を知りたいと思う

6席 49pt 桃×6 黄×7 緑×10 Bonus

西村湯呑寿々多実果えんどうけいこ淡海わこ可奈美きつねひの夕雅ルナクえだまめしちみとう倉橋千帆金子りさけら天田銀河侑子もーたろ中牧正太七緒なぎさらさ姉野もね伊藤みこCIPHER


今回のお題「ほとんど」は、逆にそれに含まれないわずかな部分にスポットを当てることができる語であり、それをうまく使った一首だと思います。月のことを言いながら「君」のことを想うというのも、王道ではありますが、既にピークを過ぎた十六夜の月であるところに物語が感じられて好きです。西村湯呑さん

「十六夜の欠けた部分」というところに惹かれました。主体は月だけではなくて、君のどんなところも全て理解して受けとめつ愛そうとする人なのだろうなと思いました。寿々多実果さん

「満月だ」「いや今日のは十六夜月だよ」「でもほとんど丸いじゃない」‥‥なぁんていう会話が下地になっているようで、この2人の関係性やそれぞれの性格が細かなところまで描写されていると思いました。満月から一日分欠けた部分があるとしても「ほとんど丸い」という人と、その欠けた部分が気になって仕方がない人、きっといいコンビなんだろうなぁ、と。物の捉え方の違いが、ぎすぎすした感じではなく、とても柔らかく感じられるのが好印象でした。ひの夕雅さん

発想がユニークだと思います。着眼点の面白い歌の中には、その発想だけで突っ走ってしまって、面白みを伝えきれていないこともあるかと思いますが、この歌の場合はそれがなく、とても印象がよかったです。
解釈はすでに他の方が書かれているのと同じ感じです。天田銀河さん

ほとんど丸いけれど欠けている(陰っている)部分がある十六夜は、どこか「君」のようでもあるのでしょう。「君」が自分に見せていない何かを知りたいと思ってしまう気持ちが、恋のはじまりのような気もします。桔梗さん

君の前では完璧でありたいと願い、欠けている部分を知りたいと願う恋の歌、と読みました。「君」は欠けた月をも「十六夜の月」として愛でているところに、微笑ましく暖かいものを感じました。けらさん

7月のカメラロールのほとんどがあなただったしいいかと思う

7席 47pt 桃×4 黄×11 緑×10 Bonus

寿々多実果えんどうけいこ淡海わこ可奈美ルナクなな小泉夜雨WPP井筒ふみえだまめ御殿山みなみ宮本背水金子りさけら街田青々天田銀河岡桃代衣未(みみ)荻森美帆もも西村曜静ジャック七緒なぎさらさ桔梗


カメラロールとは何かを知らなかったので調べたのですが、iPhoneで撮影したものを見ることが出来る機能(?)の名前なんですね。結句の「いいかと思う」のは7月はあなたと一緒にいた時間が長かったということで、そこそこいいかと言うことでしょうか。
意地悪な読み方をすると、ストーカーチックになってしまってそうなると、ちょっと不気味でした。知己凛さん

「いいかと思う」というのは、本当はもう少し距離を縮めたかった(ステディな恋人になりたかった?)けれど、それなりに仲良くなったからいいか、ということだと読みました。その人の画像ばかりになってしまうほど一緒にいたのだから、未来はそんなに暗くはないと思うのですが、どうなるでしょうね。いろいろと想像がふくらむ歌でした。韻律もいいですね。えんどうけいこさん

あとから自分の撮ったものを振り返ってみたときに、そこに「あなた」ばかりが写っていたのでしょう。すごく大好き!というわけではなく、それまではそんなに意識していなかった人なのに、カメラロールで気づく、みたいなところがわかる気がします。「いいか」は、たとえば「あなた」から交際を申し込まれたことに対する返事(OKの意)と読みました。あまり気負わない関係性みたいなところと、「いいか」という自分の中でだした答えのゆるさがよく合っているように思いました。桔梗さん

軽い口調が効いていると思います。内容の方は別れなのかなと思いました。あなたと楽しく過ごせた7月が確かにあったことの証明としてのカメラロールで、これはこれでよかったのだというさわやかな諦めのようなものを感じました。天田銀河さん

軽い口調で歌われていて、現代的な恋の歌だなあとおもいました。「カメラロールのほとんどがあなただった」ことをことさら喜ぶでも悲しむでもないところに、うまさを感じます。「いいかと思う」が、どう「いいか」だったのか、いくらでも異なる読み方ができてしまうのですが、それでもこの歌にかぎってはあまり説明しすぎると無粋になるとおもうし、これで良いんだろうなあ、と。わたしの読み方は、学業か仕事か、まあ生活においていろいろと苦しむことがあった七月だけど、それでもカメラロールの写真は「ほとんどがあなた」で、つまり恋のほうはそれなりにうまくいっていて、七月全体の総合評価が「いいかと思う」というものでした。西村曜さん

上↑の評の者です。「七月」→「7月」です。失礼しました。西村曜さん

ほとんどが嘘と気づいた言いわけにうなずいており 音のない雨

8席 45pt 桃×2 黄×15 緑×11 Bonus

幸香寿々多実果えんどうけいこひの夕雅ルナクななWPPえだまめあひるだんさー久哲しちみとうみやこどり倉橋千帆御殿山みなみ宮本背水けら街田青々天田銀河衣未(みみ)あおきぼたん大西ひとみもも中牧正太静ジャック甘酢あんかけなぎさらさ姉野もね伊藤みこ


「嘘と気づいて」いるのに指摘せず黙ってうなずいている主体の気持ちが、「音のない雨」で表現されているようです。一字空けののちにぽんと置かれた結句によって、読者の心に余韻が残るように感じます。えんどうけいこさん

主体は誰かの「言いわけ」を聞いているけれど、それが嘘だと気づきつつも表面上はわかったふりをしているのでしょうか。実際に降っている雨の音が聞こえない状況(室内にいるとか)なのかもしれませんが、「音のない雨」という結句が主体のその時の複雑な気持ちも表しているのでしょう。桔梗さん

うなずいているという自分の行動と、音のない雨という周囲の様子とに目が向いていることから、主体の冷静さを感じました。
嘘と気づいている会話と、それを聞いている自分の心殿間に距離があることが、少ない情報でも感じることができて、空白も効果的だと思いました。天田銀河さん

「気づいた」とあるので信用していた時期もあるのでしょう。音のない雨のように、雨が降っていることにすぐには気づかなかったように。
気づいていながら信じている振りを続ける主体の心情を思うと、切なくなります。倉橋千帆さん

音のない雨 は、心に流れる涙なのかなと思いました。切ないです。衣未(みみ)さん

音のない雨が主体の涙のよう。でも実際は涙も流さずただうなずいているのですね。「音のない雨」の喚起力がすごくて、少ない文字数でいろいろと二人の物語を想像させてくれるいい歌だとおもいました。あおきぼたんさん

個人的には「気づいた」という完了形に違和感を覚えました。「うなずいており」と現在進行形になっているということは主体の今目の前で誰かが言い訳を述べていると考えたため、時間軸にズレを感じたのだと思われます。この点に違和感を感じたのが私だけのようでしたらお忘れ下さい。五條ひくいちさん

結句「音のない雨」の余韻と一種全体の音のやわらかさが調和してうつくしく、字開けも効果的に使われていて素敵です。
(※うっかり途中送信しちゃいました!前の投稿の続きです。)五條ひくいちさん

話しの相手が言いわけをしていて、そのほとんどが嘘と気がついているとは、心憂く、やりきれないですね。雨の音も耳にはとどかないと言う表現が、信じていた人なのだろうと想像させます。大西ひとみさん

本当にすきな人とは結ばれない ほとんど溶けたアイスを食べる

9席 37pt 桃×2 黄×11 緑×6 Bonus

西村湯呑寿々多実果えんどうけいこ知己凛ひの夕雅五條ひくいちなな梶原一人えだまめ倉橋千帆御殿山みなみ街田青々天田銀河侑子大西ひとみ荻森美帆中牧正太静ジャック伊藤みこ


上の句と下の句のとりあわせがいいですね。「ほとんど溶けたアイス」が、恋愛がうまくいかないやりきれなさ、失望感とマッチしています。えんどうけいこさん

「ほとんど溶けたアイス」がいいですね。なので上の句にもうひとひねりあったらよかったなぁと思います。可奈美さん

「本当に」と「ほとんど」の置き方に韻律と意図を感じる。「ほとんど溶けた」ということは、アイスを前にして食べずにいたということ。心のどこかに残り続ける恋の記憶がふいに表面化することがある。そのきっかけが甘いアイスだったのでしょうか。想像させられる歌です。梶原一人さん

ほとんど溶けたアイスに、うまく掬い取れないもどかしさや経過してしまった時間への後悔など、様々な感情が含まれているように感じました。それを「捨てる」のではなく「食べる」つまりうまくいかなさを、それでも受け入れているところに、主体のさっぱりとした感情を読み取れると思います。天田銀河さん

アイスがほとんど溶けてしまうくらいの時間の経過は落胆でしょうか。勝手なイメージとしては、クリームソーダの上のアイスがほとんど溶けてしまったのかなと読み、切なくなりました。大西ひとみさん

アイスクリームがほとんど溶けるまでどのようにして過ごしていたのでしょう。想像がふくらみます。
美味しいはずのアイスと、楽しいはずの恋。主体の心情を溶けたアイスに重ね合わせたくなります。倉橋千帆さん

上句は主体のこれまでの経験則みたいなものでしょうか。
「ほとんど溶けたアイス」を食べるのは、棒アイスではなくカップアイス的なタイプでしょう。アイスとしてはベストな状態を過ぎているものを食べている、どこか気もそぞろで何か物思いにふけっている様子が感じられました。桔梗さん

花の名をほとんど知らないきみだけど葵は言えてそれは誰かな

10席 32pt 桃×1 黄×11 緑×6 Bonus

寿々多実果梶原一人えだまめあひるだんさーみやこどり倉橋千帆あおきぼたん京一大西ひとみ荻森美帆もも中牧正太七緒甘酢あんかけなぎさらさ姉野もね諏訪灯CIPHER


「葵」というのがとっても微妙なところをうまく突いていると思います。相手が自分ではない女性のことを考えているのでは?と疑うきっかけとして、花をほとんど知らない人が葵を知っていたというところも、面白い発想だと思います。天田銀河さん

徳川家のお方でしょ。と言う冗談はさておいて、言いたいことはわかりますが、少しインパクトに欠ける感はありますね。むしろ「それ誰!」みたいな直截な感情を盛った方が絵が立つかもしれません。久哲さん

それは誰でしょうね。どきっとする歌です。
リズムが良くて、淡々と詠んでいる事で、更に感情移入して読めました。眉毛がピクッと動く感じを想像しました。大西ひとみさん

花の名前をほとんど知らないのに「葵」だけは言える(知っている)「きみ」。人の名前としてはよく使われるけれど、植物自体は「花の名をほとんど知らない」人が知っているものとしてはそこまでメジャーじゃないから、そこに何がしかの理由があると考えたのはわかるのですが、もしかしたら単に時代劇好きかもしれないし、京都に縁がある人かもしれないし、ちょっと決めつけが強いかも。そこがおもしろさだとは思うものの、やや気になりました。桔梗さん

リズムがすごくいいですね。特に上の句のきみだけど、までの物語性の発展にすごくワクワクしながら読みました。下の句、たったひとつの花の名前を言えることから『きみ』の不義を疑うという歌意もおもしろいです。ただ個人的には『葵』という具体的な花の名前をあげたことで、それぐらいは知っていてもおかしくないのではないかという違和感は覚えました。葵というネーミングも、源氏物語の葵の上や平家物語の葵の前、あるいは徳川紋や賀茂社紋を想起させるので、(それが事実であったとしても)不貞のイメージとはちょっと違うのではないかというのも気にかかりました。宮本背水さん

若い男性で葵を知っている人はあまりいなさそう。私も「元カノが「これ、私の花」とか言ったんじゃないのー」と勘ぐってしまいそう。源氏物語の妻として嫉妬された葵の上も彷彿とさせますね。あおきぼたんさん

ほとんどが俯いている地下鉄で迷える蝶の光るのを見た

11席 29pt 桃×2 黄×7 緑×10 Bonus

西村湯呑えんどうけいこひの夕雅五條ひくいちルナク小泉夜雨WPPえだまめあひるだんさーみやこどり金子りさ街田青々あおきぼたんもーたろみちくさ中牧正太静ジャック七緒CIPHER


地下鉄の車内の疲れ果てた人々の中にいて、自分だけが特別な何かを見ることができたという、「ほとんど」に入らない側の視点がいいと思いました。誰かに教えてあげたいと思っても、声をかけるべき同行者もいないという、一種の寂しさみたいなものもあって、シーンの切り取り方としてとても好きです。
ひの夕雅さん

前の方が書かれているように、「ほとんど」に入らない側の始点に面白さを感じました。「ほとんど」であって「ほとんどの人」と言っていないので、うつむいているのは人だけでなく、例えば傘の柄と蚊、垂れ下がったバッグの紐とか、そういう「もの」も含まれるのではないかと考えました。光る蝶は、迷いながらもする決断や、確信のようなものの例えのように思いました。天田銀河さん

日常からふとした時にはみ出した特別な一瞬みたいなものが感じられて好きです。地下鉄では(スマホを見たりだとか)ほとんどの人が俯いていてそれが普通だと思うのですが、そういった「普通」とか「日常」からはみ出してしまう瞬間みたいなのが誰にでもあって、それを大げさすぎず抑制的に詠っているのがいいなと思いました。金子りささん

映画のワンシーンのような描写がいいなあと思いました。背景はモノクロでふっと顔を上げたら、蝶だけが光っていてヒラヒラと飛んでいる。疲れた日常にマボロシなんだろうとは思ってはいるけど、疲れてぼーっとしているのかそれすらもよくわらかない。気づいてるのは自分だけみたいだ。そんな感じの情景が頭の中で浮かんで消えませんでした。街田青々さん

この「ほとんど」は「ほとんどの地下鉄利用者」ということでしょうか。俯いているのはスマホをみたり、音楽を聴いたり様々な理由があると思いますが、そんな中で主体は顔を上げて周りを見ているのでしょう。
「地下鉄」は、走っている電車なのか地下鉄の駅なのかどちらとも取れそうですが、いずれにしても地下の暗いところに「蝶」が迷いこんだのか、それとも別の物が蝶に見えたのか…。主体には何かの暗示のように思えたのかもしれません。また、俯いていることで見逃しているものはたくさん世の中にはあるように思いました。桔梗さん

八月の日差しにまけて見あげればほとんど色を失くす青空

12席 29pt 桃×0 黄×12 緑×8 Bonus

えんどうけいこ淡海わこ小泉夜雨梶原一人井筒ふみえだまめあひるだんさーみやこどり倉橋千帆街田青々天田銀河岡桃代侑子あおきぼたん荻森美帆もも中牧正太なぎさらさ姉野もね


普通は日差しに負けたら暑くて逃げる気がするのですが、主体は見あげるんですね。
見あげた先には負けた日差しがまぶしくて色を失くしたように見えたのでしょうか。下の句は目がくらむ様子でしょうか。知己凛さん

熱中症で仰向けで倒れていく場面と読みました。ほんとに、連日暑くてくじけてしまいそうです。倉橋千帆さん

八月の空と言えば、やはり鮮やかでしっかりした水色のイメージですが、陽射しがつよくて、くらくらと見上げるともう青を通り越して白に近いように感じることは確かにあるように思います。「色を失くす」とはそういうことではないのかと感じました。青の果てとしての白という捉え方が美しいと感じました。天田銀河さん

「日差しにまけて」なので、わたしも熱中症的なもので倒れる場面を思い浮かべたのですが、そうだとするなら「見上げ」よりは仰向くなどの言葉の方が適切なのかなという気がします(違う場面を想定していたら申し訳ないのですが)。空の青さよりも強烈な太陽の光なのでしょう。桔梗さん

この星の水はほとんど涙味きみのもきっとあるのでしょうね

13席 26pt 桃×1 黄×8 緑×6 Bonus

淡海わこ五條ひくいちルナク小泉夜雨WPP梶原一人久哲しちみとうみやこどり宮本背水けら街田青々中牧正太なぎさらさCIPHER


海水を涙の味と言い切っているところが素敵です。
きみは今泣いているのかな…それとも生まれる時の涙のことかな…と想像力が広がりました。淡海わこさん

この星の水のほとんど、ということは海を表しているのかなと思いました。海の塩味と涙の塩味を重ねあわせるようなイメージでしょうか。そうすると海はたくさんの悲しみを飲み込んでそこに存在するという感じがして、そのなかに、きみだけでなく自分の悲しみも含まれるのだとそんな感じで読みました。天田銀河さん

「この星の水はほとんど涙味」=海が大半を占めている、その中には「きみ」の「涙」も含まれている、ということなのでしょうか。「きみのも」というのならば「涙味」ではなく「涙」と言ってしまった方がよかったのかなと思いました。桔梗さん

なるほど。たしかに!非常にリリカルな歌だと思います。涙はたしかに海の味ににていますよね。作中主体の涙もどこかにあるのでしょうね。あひるだんさーさん

カクテルがほぼ水なこと自分にも内緒にしてた夜があります

14席 24pt 桃×1 黄×7 緑×7 Bonus

幸香井筒ふみえだまめあひるだんさーしちみとう宮本背水金子りさけら街田青々侑子衣未(みみ)西村曜甘酢あんかけなぎさらさ桔梗


「自分にも内緒」がユニークです。実際はさほどアルコールを摂取してないのに、雰囲気で酔ったとか、飲んだつもりで酔っていたのでしょうか。桔梗さん

巧い歌ですね。酔っていたことにした、というのでなく、自分では事実として酔ったことになっていたはずの過去。それを冷静に見返しているのが、どことなく不思議な時空間を生みだしていて、詩として深みを呼んでいるように感じました。宮本背水さん

きっと、何か考えていたいことがあるのだろうと思いました。考えないようにしようとか、どうでもいいとか、自分に言い聞かせるのだけれど、やっぱり考えてしまいたいような複雑な心境が現れているようんにも思います。多くは「酔って忘れたい」なのだろうけれど、この歌では「酔って忘れてしまいたくない」という方がうたわれているような気がしてそこが面白いと思いました。天田銀河さん

世話焼きな守護霊たまに側にいてほとんどの猫それを見ている

15席 23pt 桃×2 黄×4 緑×10 Bonus

えんどうけいこ五條ひくいちルナクWPP井筒ふみしちみとう倉橋千帆御殿山みなみ街田青々天田銀河岡桃代侑子あおきぼたん荻森美帆中牧正太


猫が一斉に同じ方向を見ているのはこのせいなのか!と思わず納得してしまいそうになる歌です。お盆の時期ですし、守護霊さんもお側に来てくださっているかもしれませんね。知己凛さん

「ほとんど」と言う時、わずかな例外を暗に匂わせることになり、この歌ではおそらく特に含意はなく「多くの」ぐらいの意味で使っているのだと思いますが、読み手としてそこで一瞬深読みモードに入ってしまい、素直に歌意を楽しめませんでした。お題だから仕方ないのですが、やや強引に語を使った感があります。
全体には、猫に霊が見えるという設定は、前評の方と同じくなんだか説得力があって面白かったです。西村湯呑さん

「世話焼き」というのは主体にとってときどきお節介とも思えるようなことをしてくる守護霊がいるという意味なのでしょうか。ただ、守護霊というのはいつも側にいるイメージなので、「たまに側にいて」という表現にひっかかってしまいました。「たまに側に来て」なら違和感がなかったかもしれません。「守護霊(が)」「猫(が)」と二度にわたって助詞を抜いているのも少し気になるところです。歌の内容についてはユーモラスな情景を詠まれていて好きです。えんどうけいこさん

猫がときどきあらぬ方向を見ていることがありますが、その答え、といったところでしょうか。
ただ、先にも述べられているように「世話好きな守護霊」ならばつねにそこにいそうなのに「たまに側に」というところがひっかかるような気がします。
桔梗さん

やさしい守護霊がついているのですね。
ビミョーに目の合わない猫が、みんな自分の守護霊を見ているのだとしたら楽しい。井筒ふみさん

世話焼きな守護霊という言い方にひかれました。
世話焼きならば、猫の餌やりやトイレ掃除などもしてくれると更にいいですね。大西ひとみさん

主語例はいつも自分のそばにいるというイメージから、もしかしたら、たまに飼い猫たちのそばにも来て、いろいろと猫たちにも世話を焼いてくれるのかなと思いました。
すでに言われていることですが、切り出した景がとてもユーモラスで魅力的だと思います。助詞の省略も含めて、歌のつくりとしてはもう少し整えられる余地はあるのではないかと思うのですが、着眼点のおもしろさがそれを超えているように感じました。天田銀河さん

「猫が見ている」→「守護霊でもいるのかもしれない」とやってしまったらあまりおもしろくなかった。守護霊がいることを確信しているところ、上句下句の配置にユーモアの妙技を見た。中牧正太さん

ほとんどの恋とすべての失恋にある溜め息がほんとに出ない

16席 23pt 桃×2 黄×4 緑×3 Bonus

西村湯呑WPP久哲宮本背水荻森美帆七緒なぎさらさCIPHER


この歌。結構シンプルだけど、恋や失恋でこう詠めるかと言うとなかなか出ないですよ。自分の恋愛経験がないことに対する自虐的なおかしさと悲しさ。良く出ていると思います。久哲さん

恋と失恋で溜め息が出るのなら、主体は恋をしていないのでしょうか。それとも、もう全て悟りきって溜め息さえ出ない気持ちなのか。どちらにしてもやりきれないですね。大西ひとみさん

「ほんとに」のところに、強さのある歌だと思います。
ため息が出るのはほんとうはあまり望ましいことではないのかもしれないけれど、それすらも出ないことへの諦めというか、そういう感じが「ほんとに」に含まれているように思います。天田銀河さん

「ほとんどの恋とすべての失恋」は自身のではなく、世間一般のことを指しているのでしょうか。他の人は、そういう時に溜め息が出るけれど、自分の場合には「ほんとに出ない」のだ、という風に読みました。溜め息は出てないけれど、恋をしているんだよいうことなのかも。桔梗さん

ほとんどの~、すべての~、と並べておいて最後にうっちゃる……
非常に巧いと感じました。コミカルにもシニカルにもセンチメンタルにも読める、含みのある良い歌だと思います。好きです。CIPHERさん

バーテンにほとんど水の水割りをつくらせて聞くあの子の話

17席 23pt 桃×0 黄×9 緑×9 Bonus

幸香淡海わこ可奈美ひの夕雅ルナクWPP梶原一人えだまめあひるだんさーけら街田青々天田銀河もも西村曜中牧正太甘酢あんかけなぎさらさCIPHER


情景が二通り浮かんでしまって。
話を聞くために相づちを打ちながらほとんど水の水割りを飲んでいるのか、居合わせた第三者として聞いているのかどっちかなぁ…と。
あの子、だから第三者なのかなぁ。淡海わこさん

うれしいのか悲しいのか話が止まらないあの子が酔ってしまわないか心配になり、自分は酔わないようにと薄い水割りを飲む主体。というのを想像してみました。(心配だから)を(このあとあわよくば……)に置き換えることも可能かな。寿々多実果さん

バーテンダーという響きが懐かしく感じて調べたところ、「バーテン」は差別的な表現を含んでいるため失礼だとの記述がありました。
それはさておき。私は、男性と二人でバーにいる主体(女性)の姿を思い浮かべました。男性は意中の「あの子」の話をしているために、男性に片想いしている主体は複雑な心境。酔ったら本音がこぼれてしまうから、薄い水割りを飲みながら熱心に話を聞いてアドバイスまでしているのでは。倉橋千帆さん

おそらくアルコールを入れたら理性を失うほどに疲れているので、あえてこうした飲み物でギリギリの理性を保っているのだと読みました。緊張感が伝わってきます。あひるだんさーさん

「ほとんど水の水割り」という表現が音もよくておもしろいと感じました。友人と飲んでいて、友人は彼女の話をするのだけれど、その彼女のことを主体はひそかに想っているのではないかと読みました。
友人とあの子の関係がうまくいっているのなら、ロックで聞きたいところだと思うのですが、自分にとって何らかのメリットがある可能性も含めて、ふたりのことをしっかりと聞きたいという主体の気持ちがよく表現されていると思います。最初は4句目までの少し大人びた印象と、結句のやや幼い印象との相性が気になっていたのですが、「あの子」で大体主体たちの年齢と関係が想像できるので、これでよい歌なのだと思いなおしました。天田銀河さん

バーで、「あの子」の打ち明け話か愚痴か何かに付き合っているところを思い浮かべました。
「ほとんど水の水割り」というディテールがよいですが、この水割りを飲んでいるのは主体かあの子か、どちらなのでしょうね。
桔梗さん

がらんがらんぴっこんからんほとんどの雨はわたしに落ちてはこない

18席 23pt 桃×0 黄×9 緑×6 Bonus

淡海わこひの夕雅WPP梶原一人あひるだんさーしちみとう金子りさ街田青々天田銀河岡桃代みちくさ荻森美帆桔梗伊藤みこCIPHER


二句に渡って使われているオノマトペは、雨が様々なものに当たっている様子を表されているのでしょうか とても独自性があって面白く思いました
自分に雨は降りかかってこないという、すごく自分を特別視している主体を可愛らしく(?)思う一方、ちょっとさみしそうな印象をうけました小泉夜雨さん

音の表現がとてもきれいで、同時に降っている雨でも、それぞれに粒の大きさや速度が違っていて、そしていろんなものに当たっている様子がよく表われていると思います。
おそらく主体は傘をさしていないか、傘からはみ出た部分で雨を感じているのだとおもいます。だから雨粒が当たっても自分からはほとんど何の音もでないので、本当は等しく雨は落ちてきているのに、ほとんどの雨が自分には落ちてこないのだと感じているのではないかという捉えをしました。
深読みしすぎかとも思うのですが、本当は等しく与えられているはずなのに、その存在に気付かず、寂しいような思いをしてしまうことのたとえのようにも感じました。天田銀河さん

私はこれを「雨漏り」の歌として読みました。今時、こんなふうに派手な音を立てるような雨漏りを催す家屋なんてないんでしょうが、昭和の思い出のような感覚で。オノマトペの雰囲気から、外にそのまま降る雨というよりは何かしら問題のある雨、というふうに捉えました。
バケツや洗面器、器のようなものをかき集めてきて、雨粒が落ちてくるところに設える。色んな音がするのは器が違うから。しかしながら「ほとんどの雨」ということは、うち何粒かは主体を上手に直撃するのです。その箇所にまた新たな器を置く。新たな音が生まれる。雨漏りは困った現象ですが、例えば子供時代の感覚でいうならば、面白い非日常にほかならず、この歌もそんな雰囲気のあるものとして楽しませていただきました。ひの夕雅さん

楽しいオノマトペだと思いました。
それだけにもっといろんな雨の音があるんじゃないかな、とよくばってしまいました。井筒ふみさん

楽しいオノマトペだと思いました。
それだけにもっといろんな雨の音があるんじゃないかな、とよくばってしまいました。井筒ふみさん

三句目以降のフレーズに惹かれました。
最初、オノマトペが何を表しているかよく分からなかったのですが、他の方の色んなものに雨が当たる音という評になるほどと思いました。
私はこのオノマトペがなんだか壊れた機械みたいな印象を受けて、(主体の頭の中で鳴っている音なのかなと)それと後半の真っ当過ぎる主張にちぐはぐな怖さというかを感じて、面白い歌だなと思いました。金子りささん

初句二句のオノマトペが楽しいですが、これは雨がどこか(バケツとか)に当たることによって発している音なのでしょう。言い換えれば、「わたし」以外のものに当たっている音なのでしょうか。なぜ「わたしに落ちてはこない」と言い切れるのかが謎ですが、わたしに当たったときにはどんな音がするのでしょうね。
桔梗さん

ほとんどの流星群を見送っておいてけぼりを探す星空

19席 22pt 桃×1 黄×6 緑×6 Bonus

淡海わこ五條ひくいちルナク小泉夜雨えだまめ御殿山みなみ侑子衣未(みみ)あおきぼたん中牧正太静ジャックなぎさらさ伊藤みこ


おそらく実景なのだと思いますが、流星群が見られるということはわりと星がたくさん見える場所なのではないと思います。そうなるとたくさんの流星群を見送ったあとでも、きっと空には星が無数にあるのじゃないかと。そこでおいてけぼりを探すのは至難の業かな。
星空よりも、月とか金星とか単体にすればもっとよかったのかなと思いました。知己凛さん

流星群が去ったあと、取り残されたように残る星を捜しているというのが、実景というよりはイメージとして、時間や出来事が目まぐるしい速度で流れていって、ふと気づいた時に、それらが自分に何を与えたのだろうとふと立ち止まるような瞬間を切り取っているように感じました。天田銀河さん

主体は、流星群が流れてゆくのを見ていたのでしょう。もうだいたい最盛期は過ぎて、まだいくつか流れていたりするような状態で、あとから遅れて流れている星をまだ探している、という意味かなと思うのですが、流星群として流れずにいる星の方がたぶん夜空には多いので、ほとんど「おいてけぼり」になってしまうのではないでしょうか?
みんな流れてしまったら「星空」ではないですし。桔梗さん

流星が一つだったら流星を見ると思うのです。でも流星群というからには飽きるほど星が流れているのでしょう、そうすると今度は流れていない星の方に目が行く。おいてけぼりにされた星に自分、あるいは誰かを重ねているのでしょうか、主体のさみしさが伝わってくるようで印象深いです。あおきぼたんさん

「見送って」とありますから、主体は流星群を眼にしていながらそれらを気に留めず、敢えて流れていかない「おいてけぼり」を探しているものと考えました。主体のその捻くれた態度と、集団に倣らうことのない(倣らうことができない)「おいてけぼり」を重ねたと解釈しました。しかし「おいてけぼり」なのかどうかを主体が見分けることは実質不可能ですから、主体の行動は虚しいものでもあるように思いました。結句の「星空」が読み手を混乱させ勿体ないと思います。星空の景は既に描かれているわけですから、少し「星」から離れて他のことを描写した方がより一首としてのまとまりが良くなるかもしれません。五條ひくいちさん

向日葵に塗り替えられてほとんどの夏の記憶は深くみずいろ

20席 21pt 桃×2 黄×3 緑×4 Bonus

五條ひくいちルナク小泉夜雨WPP街田青々岡桃代みちくさ中牧正太桔梗


月並みですが、向日葵は黄色のイメージなので、それに塗り替えられて記憶がみずいろになるというのがちょっとよくわかりませんでした。
知己凛さん

夏だからといって毎年楽しいことばかり起こるはずもないのだけれど、あの向日葵の大きくて明るい咲きようをみるとなんだか心がはれてくる。向日葵を見てから思い出す夏の記憶はみんな美しくかんじるのでしょう。それでも「ほとんど」を入れたことでそんな記憶のすり替えにもあらがえない辛い夏もあったことを想像させます。なかなか深みのある良い歌ですね。ルナクさん

どの夏の思い出にも向日葵があって、その背景は深くみずいろの大空。一つ一つの小さなことはどうでも良くなるような、奥底にある大きな哀しみを感じました。
けらさん

論理的には、「向日葵に塗り替えられ」ることと「みずいろ」は矛盾します。でも、なぜか心に残りました。主体の想いとは違うところで夏の記憶が残っている、そんな感じかなと想像しました。岡桃代さん

「向日葵に塗り替えられ」たのならば、普通は黄色じゃないかな?と考えてしまいますが、そこは詠まれた方のこだわりなのでしょう。向日葵の花が高い場所にあるからつい空を見てしまい、それが夏の記憶になってしまったのでしょうか。
桔梗さん

まだほとんど使ってなかった白で塗る夏の砂浜と波とTシャツ

21席 21pt 桃×0 黄×8 緑×8 Bonus

えんどうけいこきつね五條ひくいち井筒ふみ久哲金子りさけら街田青々衣未(みみ)あおきぼたん京一みちくさ大西ひとみ西村曜中牧正太CIPHER


とてもさわやかなのに韻律が悪いのが残念です。きつねさん

「白」は色えんぴつなのでしょうか。海に出かけたところを描いている絵日記と読みました。夏には白が似合いますが、砂浜と波を白くしてしまうと境目がわかりにくいような気もしますし、四句目の字余りが気になるので白で塗るものはもう少し絞ってもよいのかなと思いました。
桔梗さん

「まだほとんど使ってなかった白」というのが、まだほとんど使ってこなかった感情、ともとれるような気がしていいなと思いました。いつもとは少し違った心持で海を見ているのかもしれないなと思いました。
他の方がおっしゃるように少し字余りが多いとも思いますが、爽やかで新鮮なイメージで好きです。金子りささん

四月に新調した絵の具のほとんど減っていない白を想像しました。白って絵の部の中では減りやすい色のひとつだと想うので、主体には、淡い色で描きたくなるような春がないままに夏を迎えたのかなと思います。爽やかな印象があり、字余りによる韻律もさほどは気にならなかったのですが、やはり名詞が並ぶ歌ですので、ひとつは意外性のあるものを持って着た方がより印象が深まるように思います。挙げられているのは、ある意味では白で違和感のないもので、目に見えるものなので、そういうところで少し印象に残りにくいのかなと感じました。天田銀河さん

白というのは残ってしまうのだろうと共感しました。
その絵はほとんど海と空で、青色を塗った上に、砂浜と波とTシャツを白い絵の具で塗っていく感じをイメージしました。
"夏の"という部分が説明的になっていて残念だなと思いました。(あとでしゃばりで勝手な意見ですが、白、夏、ときたら入道雲かなと。ごめんなさい、砂浜や波に意味があるなら失礼な意見で、聞き流して下さい)
全体的には分かり易くて、爽やかなお歌になっていると思います。大西ひとみさん

なつだからちゅうをしようか(ほとんどのひまわりこっちみるなばかたれ)

22席 18pt 桃×1 黄×4 緑×6 Bonus

幸香ひの夕雅小泉夜雨御殿山みなみ街田青々京一荻森美帆もも七緒なぎさらさ諏訪灯


書かれている通りに読めばいいのか、それとも「ほとんどのひまわり(がこっちを見ているけど、)こっちをみるなばかたれ」と作者が言いたかったであろうことを補完して読めばいいのか悩みました。きつねさん

「ちゅう「と「ばかたれ」という幼さの残る言い回しの組み合わせ、平仮名表記をしているところ、これらの要素でちゃんと世界観が統一されているように思います。夏のある意味ではいい加減な解放感とも重なって、主体は大人になれていないし、なりたいと思っていない少年ではないかと感じました。
「ほとんどこっちをみるな」のところが表現として分かりにくさがあるように感じました。「みんなこっちをみるな」とか「ほとんどこっちをみてる」なら意味が取れるのですが、そうではない表現を選ばれているところにどういう意図があるのかが見えづらかったです。天田銀河さん

ひまわり畑の中で、小さな子が自分の好きな相手にキスしようとしているような場面でしょうか。「なつだから」という理由になってないようなところを押し通す感じがこどもらしく、表記も全部かなに開いていて幼さを出しているのかなと思うのですが、この言葉の流れの中だと「ほとんど」という言葉自体がどこか浮いている印象を受けました(ここだけ大人の部分が出ているような)。桔梗さん

実際にこのシチュエーションでの台詞を考えるとき、「ほとんどの」は入らないと思います。単に「ひまわりこっちみるな」か、多数を表したいならば「ひまわりども」とか。
某ミステリで、目撃証言として「銀色のナイフが」と言った人が、説明不要な「銀色の」を言ったがためにかえって疑われて不在を証明されてしまう…というのがありましたが、それに似た不自然さを感じました。
総ひらがな表記、そして結句の「ばかたれ」で、純粋な少年の照れがうまく表現され、疾走感のあるほほえましい一首なので、その点を工夫すればより良かったと思います。西村湯呑さん

ひまわりの擬人化で「ほとんど」は見ているんだけどあえて見ていないひまわりもいるんだなぁと。クラスのからかっている同級生と見て見ぬふりをする同級生みたいでほほえましいです。あおきぼたんさん

飛躍した読みなのかもしれませんが、私はほとんどのひまわりは本物のひまわりで、でも目の前にいる好きな人もひまわりのように見える……といったことなのかなと思いました。その好きな人にはこっちを見ていてほしいなということかと。荻森美帆さん

「ちゅう」「ばかたれ」という言葉遣い、「なつだから」という理由になっていない理由づけ、さらにはすべてひらがなでひらかれているところなどから、幼くてちょっとスレた人物像がありありと浮かび上がってきて、そこがいいなあとおもいました。だからこそこの「ほとんど」の評価が難しいですね。何度読んでも「ほとんど」にのみ違和感を感じるのですが、その違和感は失くすべきものではないかなあ、ともおもいます。ただ「ほとんど」は「大多数」「大部分」の意味なので、「大多数」に「こっちみるな」というのも、状況がわかりづらいような……。西村曜さん

よく読んでみると、ほとんどにかかるものはひまわりでも他のものでもいいのかもしれません。「こっちをみるな」に気持ちの動揺が隠せてないのでしょうか。「ちゅう」という幼児のようなキスの表現や全部がひらがな。キスしよう、と伝えることは恥ずかしさを伴います。かわいらしく、また面白いです。伊藤みこさん

よく読んでみると、ほとんどにかかるものはひまわりでも他のものでもいいのかもしれません。「こっちをみるな」に気持ちの動揺が隠せてないのでしょうか。「ちゅう」という幼児のようなキスの表現や全部がひらがな。キスしよう、と伝えることは恥ずかしさを伴います。かわいらしく、また面白いです。伊藤みこさん

よく読んでみると、ほとんどにかかるものはひまわりでも他のものでもいいのかもしれません。「こっちをみるな」に気持ちの動揺が隠せてないのでしょうか。「ちゅう」という幼児のようなキスの表現や全部がひらがな。キスしよう、と伝えることは恥ずかしさを伴います。かわいらしく、また面白いです。伊藤みこさん

みなさま。評、票、本当にありがとうございます。順位も大事ではありますが「足をとめさせた一首」ではあると自負しております^^ 懲りずに毎回、狙いたいです。うたの人。久哲さん

ミニカーも猫も四本足なので君はまとめて「ワンワン」と呼ぶ

23席 18pt 桃×1 黄×4 緑×5 Bonus

幸香寿々多実果淡海わこ五條ひくいちルナクWPP街田青々京一桔梗伊藤みこ


「四本足なので」と説明する必要はなかったかも。着想のきっかけだったのかもしれませんが。あと、詠題とちょっと離れていますね。梶原一人さん

「君」は主体のお子さん、あるいは身近にいる小さな子(おそらく男の子)なのでしょう。「ワンワン」は通常犬ですが、「君」の中でまとめられてしまっているのがかわいらしいです。歌としてはよいと思うのですが、お題の「ほとんど」を考えた時にやや微妙な感じが…(この「まとめて」は、「ほとんど」というよりは「全部」っぽいニュアンスの方が強いような)。桔梗さん

着眼点がとても面白いと思いましたし、歌の意味も取りやすく、解釈に迷うようなところはありませんでした。既に出ている点で申し訳ないのですが、やはり題との結びつきは薄いように感じました。天田銀河さん

四つ足=ワンワン というのは乳幼児あるあるですよね♪ ほほえましく読みました。お題の「ほとんど」をがんばればどこかに入れ込めたと思うので、惜しむらくはそこです。ひの夕雅さん

みなさん書かれていて恐縮なのですが本当にかわいらしく着眼点もよい歌だと思うので「ほとんど」さえ押さえていたら・・・^^。ルナクさん

同感です。
お題さえおさえていたら。井筒ふみさん

ミニカーまでワンワンと呼ぶなんて可愛いですね。
「まとめて」だと「ひっくるめて」の意とも取れるので、四句は素直に「君はほとんど」でも良かったように思います。
また、最初の方が言われているように「四本足なので」が説明的で引っかかりました。倉橋千帆さん

今回のお題「ほとんど」は抽象ですから、詠みこんだ方が読者にとって親切かと思います。タイヤという「本」で数えないものが含まれているので「四つ足」の方がより適切な気がしますが、これもやはり説明的になってしまいますね。世界の再発見をさせるおどろきと喜びに満ちた内容で、その着眼が素晴らしいと思います。五條ひくいちさん

なんでミニカーや猫のことを「ワンワン」と呼ぶのか考えて、ああそうかすべて四本足だからかという気づきが主体の中にはじけた瞬間を切り取った一首だと解釈しました。ただ、ほかの方も書かれていますが、ほとんどが題となると、少し結びつきが弱いかなと思いました。橙田千尋さん

最初四本足のものはほとんどを~と思ったのですが、全部をまとめて~と読むのが正しいのではないか、と考え直した結果、お題「ほとんど」に添ってはいない、と判断せざるを得ませんでした。申し訳ありません。ごめんなさい。CIPHERさん

ありがとうございました!「ほとんど同じ」という意味合いで作ったつもりがやはり自己満足になってしまいました。温かいコメント有り難いです。あおきぼたんさん

はじめての嘘にひそめたこの夜もふたりほとんど踏み出せぬまま

24席 18pt 桃×1 黄×4 緑×3 Bonus

幸香小泉夜雨えだまめあひるだんさー岡桃代京一なぎさらさ伊藤みこ


主体が「はじめての嘘」を誰に対してついたのか?私は親に対してついたのではないか、と読みました。おそらく主体は恋人と初めて一歩を踏み出すために夜を迎えたものの、結局奥手でこれまで以上のことができなかったのではないかと思います。しかしそのやりきれなさを抱えたまま、親には友達と会ってきた、とのように嘘をついたのでは。このあとのふたりの関係性の変化についても、色々と想像したくなる歌でした。あひるだんさーさん

はじめての嘘というのは、おそらくは親に対する、「罪悪感を持って、明らかに信頼を裏切っているという確信のあるはじめての嘘」ということだと思います。「ひそめた」とあるので、主体にとっては、どちらかというと、嘘をついて手にした恋人との夜よりも、嘘をついてしまったということの存在が大きいのではないかと感じました。だから一歩を踏み出せなかったことへの、もちろん残念な思いもあるのでしょうが、一方で少し安堵しているような感情もあるのではないかと思います。「まま」で終わって濁したようなところに、主体の複雑な感情が現れていると感じました。天田銀河さん

「はじめての嘘」は、主体が「ふたり」の片割れであるもうひとりに対して吐いたものだと読みました。どういった嘘かは具体的にはわかりませんが、その嘘の甲斐もなく踏み出せなかった恋愛関係のようなものが伺えます。
桔梗さん

しゃかりきに吾子のくり出すなぞなぞは尻を隠さぬかくれんぼのよう

25席 16pt 桃×1 黄×3 緑×8 Bonus

西村湯呑えだまめ衣未(みみ)京一大西ひとみ中牧正太甘酢あんかけ姉野もね諏訪灯伊藤みこCIPHER


大人からみると、抜けているところがいっぱいあるのに、それに気づかずに得意になっている子どもの、こどもらしさとかわいらしさがよく表現されていると思います。題との結びつきは少し弱いように感じました。天田銀河さん

しゃかりき、くり出す、がいいですね。
直ぐに答えのわかるなぞなぞに、笑いあう親子の絵が想像でき、ほほえましく思いました。(ほとんど)見えてしまっているかくれんぼのようであり、(ほとんど)わかってしまうなぞなぞと言う事かな。大西ひとみさん

「尻を隠さぬかくれんぼのよう」な「なぞなぞ」というのは、「吾子」本人からすると難しいと思って出しているようななぞなぞなのでしょうか(でも大人には簡単な)。「しゃかりき」という言葉から、すごく一生懸命になぞなぞを考えているらしいところが思い浮かんで微笑ましい感じです。桔梗さん

自分ではうまくできていると思っているようだけど、大人には簡単で謎になっていないなぞなぞなのだなと思いました。比喩が分かりやすくて、吾子の得意げな様子も伝わってきて楽しい歌だなと思いました。最初から最後まで明るくて無邪気な感じなので、何か一歩引いたところがあっても意外性があって面白いのではないかなと思いました。金子りささん

可愛らしい情景がはっきりと浮かんで来て、微笑ましいです。衣未(みみ)さん

宿題をほとんどやってない夏もたいそうカードは夏の勲章

26席 15pt 桃×0 黄×5 緑×6 Bonus

可奈美なな梶原一人みやこどり岡桃代といじま中牧正太静ジャック甘酢あんかけ諏訪灯CIPHER


宿題はほとんどやっていないのに、ラジオ体操だけはばっちり全部出席しているという元気な少年像が浮かびます。空白だらけの宿題と、欄がハンコでびっちり埋まった体操カードとの対比がいいですね。「夏」の重複はあえてされたことかとは思うのですが、候かはあまり感じられませんでした。天田銀河さん

たいそうカードは、ラジオ体操カードでしょうか。たいそうがひらがななので、小学校低学年くらいの子供を想像しましたが、いっそのこと勲章もくんしょうにすると、もっと子供感がでるかなと思いました。大西ひとみさん

この場合の、夏 の重複はあまり効果がないかなと思いました。違う言葉の方が全体的にくっきりした気がします。衣未(みみ)さん

「たいそうカード」はラジオ体操をしてスタンプを押してもらうためのカードのことでしょうか。宿題はやらなくても、ラジオ体操には欠かさず通っているような元気な子の姿が思い浮かびます。あのカードは紐を通して首からぶらさげたりした記憶があるので、ちょっと勲章っぽい感じもしますね。桔梗さん

ほとんどの上履き眠る放課後に夜遊びをする上履き4つ

27席 14pt 桃×0 黄×7 緑×4 Sorry

きつね知己凛WPP井筒ふみえだまめ久哲宮本背水侑子荻森美帆静ジャックCIPHER


上履き4つ。4人分でしょうか。上履きのままどこかへ行ってしまったのでしょうか。面白い視点だなぁと思いますが、私の上履きを使うイメージが小学生なので「夜遊び」がちょっと引っかかりました。
知己凛さん

上履きの持ち主は小学校高学年の男女かなと思いました。この場合の夜遊びは、どちらかというと学校の探検とか肝試しとか、そういう類のもののように思います。持ち主同氏はお互いに意識はしていても、照れとかがあってあまり話をしない関係なのかな。そして、どちらかというとおとなしくてまじめなほうなのかな。靴がその二人の抑圧されている部分を受け取って解放しているようなイメージで、これだけの情報しかないのにもかかわらず、自分なりにしっかりとイメージをふくらませることができました。天田銀河さん

最初に読んだ時は単に夜に遊んでいる子がいるのかと思いましたが、夏のホラー的な歌とも読めました。学校の怪談的に、遊んでいる靴しか見えないとか。大西ひとみさん

こっそりと二人夜遊びしてるのか、幽霊が遊んでいるのか、いずれにせよひそやかな楽しみが浮かんでくる歌で共感しました。個人的には夜遊びの時点で放課後なのは明らかなので、時間を表す言葉としてダブらせずに別な盛り込みでもよいのではと感じました。御殿山みなみさん

誰かが履いたまま外に出てしまったのかもしれませんが、上履きが自分の意思で遊びに出かけた感じが楽しいですね。「4つ」が、四足の意味なのか、二足の意味なのか、またこの数にどんな意味があるのかが気になるところです。
ただ、時間帯を表す「放課後に」「夜遊び」はどちらかひとつでよかったのかなという気はします。桔梗さん

ほとんどは二足一組なる靴の小さき右よ片割れ何処いづこ

28席 13pt 桃×0 黄×4 緑×4 Bonus

寿々多実果きつねひの夕雅ルナク井筒ふみといじまみちくさ中牧正太


きっと、小さい靴が片方なくなったことを言いたいのではないかと思うのですが、「小さき右よ」だと、左よりも小さいとも取れてしままって、ちょっと困惑しました。もしかしたら何の比喩なのかもしれないのですが、私には意味が汲み取れませんでした。それと、二足だと二組という意味になるのではないかと思うのですが・・・。
知己凛さん

前の方も書かれているように、「二足一組」に少し引っ掛かりを覚えながらも、おそらく「2つで1つ」という意味だろうと解釈しました。どちらかというとそれより「ほとんどの靴」という表現のほうが読みに迷うところでした。もし「すべての靴」であれば、この片方だけ残された靴の寂しさと蚊、そういうものに焦点が当たるように思うのですが、「ほとんどの靴」だと、片方だけになってしまったという状況が、少ないけれどまあそれなりにあるというように読める気がして、小さな子どもが靴を落としてしまうということの方に焦点が当たるように思いました。結句の余韻の印象から、伝えたいのが前者のように感じられたため、迷ったのかもしれません。
ですが、いずれの取り方にしても、浮かんでくる景色は同じで、人通りの少ないところに小さな靴がぽろんと転がっている様子が、歌にするにはとてもよいのではないかと感じました。天田銀河さん

やはり「ほとんどは二足一組なる靴」の解釈にちょっと悩みました。
そのままの意味で取るとして、靴屋さんの店頭で、同じデザインのものをサイズ違いで並べているような場面でしょうか(「ほとんどは二足一組なる靴」はそこのお店の陳列方法?)。先の人が片方ずつ違うサイズのものを間違って買われた何かで、サイズがバラバラのものが残されてしまったとか…。「小さき」方が主体が欲しい方なのかも。
物が靴だけに勝手に何処かに行ってしまった風なのが楽しいところです。桔梗さん

他の方々の解釈や評を読み、そうか、二足一組‥‥となったものの、私がそこに引っかからなかったのは、これを「親子の靴」として読み進めてしまったせいかもしれません。だから、「小さき右」も引っかかることなく入ってきました。
靴を脱いで入る場所‥‥公民館みたいなところで幼児向けのイベントがあったりすると、靴を脱いでごちゃごちゃした中を突き進んでいかねばならず、靴が行方不明になるなんていうのも日常茶飯事でした。大人の靴はなぜか行方不明にならないのです(笑)。
ほとんどが二足一組。お父さんかお母さんの靴と子供の靴。大きい靴と小さい靴。その中の多分、小さいほうの左側が行方不明なんでしょう。
ただ、ひょっとしたら、この解釈にも無理があるのかもしれません。私の知っている情景の中にぴったりと合うシチュエイションがあったので「あ♪」と心を寄せられました。ひの夕雅さん

二つ目のコメントをした者です。
「二足一組」に引っ掛かりを覚えたということと、「ほとんど」の受け取り方について書かせていただいたのですが、先の方の評で、「公民館や集会所などの場面」という解釈に、とてもしっくりくる感じがありました。
この解釈だと、「二足一組」は正しい表現ですし、「ほとんど」も、まれに両親と子どもとか親と子ども二人とかのように、例外的なものもあるでしょうから、まったくその通りきちんと当てはまった表現だと思います。
引っ掛かりを感じたときに、その表現が的確でないことを指摘する前に、もう少し、その表現が選ばれた理由として考えられるシチュエーションを想像してみられたらよかったなと思います。

とはいえ、もともとのほうの解釈と、こちらの解釈と、作者の意図はどちらなのか、それともどちらも違うのかはわかりません。もし公民館や集会所などの場面ということだったら、それを示す手がかりが一語でもあれば、より伝わったのではないかと思いました。天田銀河さん

知己凛さん、天田銀河さん、桔梗さん、ひの夕雅さん、丁寧な評をありがとうございました。親子連れの靴が並ぶ中、子供の靴が片方見当たらない…という景を詠みたかったのですが、説明不足だったことがわかり反省です。頂いたご意見を次に活かせるよう今後も精進いたします。ありがとうございました!五條ひくいちさん

ほとんどの死が無意味だね墜落事故の乗客名簿にぼくの名がある

29席 12pt 桃×1 黄×1 緑×8 Bonus

えんどうけいこひの夕雅小泉夜雨WPP梶原一人えだまめみやこどり倉橋千帆七緒なぎさらさ


初読では本当に「ぼく」が死んでしまったのかと思いましたが(ホラーのような)、そうではなく同姓同名の方がいらっしゃったのでしょうか。「ほとんどの死が無意味」というのは、平凡な一般人の死は社会にとっては痛くもかゆくもないと言いたいのでしょう。「無意味だね」という口語調に皮肉っぽさを感じます。えんどうけいこさん

死んでしまった自分が、現世での自分の置かれている立場を冷静にかつ皮肉を込めて眺めているのだというように捕えました。本当は意味のある死とか意味のない死とか、そういうことを考えるのがむしろ意味をなさないのではないかというところかと思うのですが、この歌はその反対で、あえてそこへ突っ込んでいって何かを見出そうとしているのではないかと思います。その結果としての「ほとんどの詩が無意味(自分を筆頭に)」という結論は、どこかさめきったような、社会に対する寂しさも感じられます。天田銀河さん

生存者でしょうか。
多くの人が死んでいく様子を目の当たりにし、その中で自分は生き残ってしまったこと、その生死を分けたものはなんだったのか。考えると「死は無意味」というどこか他人事のような表現になったのでは。解釈は分かれますが、一読するとぞくりとする歌だと思います。
倉橋千帆さん

死に意味を見出そうとすることへの批判を含んだお歌と解釈しました。墜落事故に巻き込まれても時事ニュースではほとんど死者は人数だけで語られ、稀に名前が公表されても淡々と流れて他のニュースに埋もれ忘れられていく。そういった死の無意味さを、墜落事故の乗客名簿にある同姓同名(あるいは主体自身の名前)で実感する…世の無常を少し奇妙な切り口で描いていて面白いと感じました。五條ひくいちさん

乗るつもりだったけれど乗らなかった飛行機が墜落したのか、それともたまたま事故のニュース等で同姓同名が報道されていたのか、どちらもあってもおかしくはないと思うのですが、後者の方が可能性は高そうです。それをきっかけとして「死」について、哲学的な思索に耽っているものと読みました。
よく、自分が生きていることに意味があるのかという問いはよく繰り返されますが、その問い/答えの表裏のようにも思われます。桔梗さん

墜落事故のニュースの中に同姓同名の方がいたのかなと読みました。日常に潜む生死の不確かさ、不安定さを感じました。「ほとんどの死が無意味」と言い切っている主体の静かな昏さも見えるようです。倖さん

もうほとんど食べ終えている食器からネギをつまんで笑ってくれる

30席 11pt 桃×0 黄×3 緑×4 Bonus

えんどうけいこなな街田青々京一荻森美帆中牧正太桔梗


主体はネギが苦手でお皿に残していたのでしょうね。相手はそれを知っていて笑ってくれる。あたたかい風景が詠まれていてほのぼのします。
ネギという、どちらかというと地味な野菜なのがまたいいですね。えんどうけいこさん

主体はネギが嫌いで、いつまでも食器に残しているのでしょうか(相手が嫌いだとわかっているんだったらそもそも入れないように思うので、外食しているのでしょうか)。どこか子どもっぽいそんな行動を一緒にごはんを食べているその人は、怒るでもなく「笑ってくれる」。和やかな関係性が伺えます。桔梗さん

ふたりの関係性が読み取れる点がよいと思います。きっと「笑ってくれる」という受け取り方をしている点なのだろうと思います。日常のなかの一場面をぽんと切り取っているにも関わらず、その前後の物語が見えてくる点もよいと感じました。天田銀河さん

主体と相手の関係性が31文字に凝縮されていて真っ直ぐ届く、やさしい歌だなと感じました。しちみとうさん

思わずにやけてしまう歌でした。残したものを食べてくれたのでしょうか。優しいですね。ネギというチョイスが絶妙で好きでした。街田青々さん

刻みネギがちゃんと切れてなくて繋がってたのかなあと思いました
食事の最初から終わりまで微笑みの絶えない素敵な時間だったのかな京一さん

forever ほとんど祈りの言葉です 鉤括弧したいつかのきみも

31席 9pt 桃×0 黄×2 緑×3 Bonus

御殿山みなみもーたろ大西ひとみ中牧正太CIPHER


鉤括弧したいつかのきみ、が読み取れませんでした。
鉤括弧…会話が出来ていた頃のきみってこと…?
淡海わこさん


鉤括弧をする、というのは。
鉤括弧でくくるという意味だと思うので、その目的語(?)は大体は何かの言葉やフレーズということになるかと思います。この歌の中でそのフレーズに当たりそうなものはforever だと思うので、ほとんど祈りの言葉であるforever に鍵括弧をつけたきみ、ということなのではないかと解釈しました。そしてその言葉も、きみ自身も、もうほとんど祈りのようなものだと言っているのかと解釈しました。違うんだろうなという気もするのですが・・・。
天田銀河さん

最初に読んだ時は鉤括弧の意味が読みきれず、"きみ"が言った大事な言葉があるのかなと思いましたが、読み返してみたら、もしかして両手で作る鉤括弧かなと思いました。写真家さんが構図をとる時にする仕草のような。
自分の両手で作った鉤括弧を通し"きみ"を見た時があって、その"きみ"よ"forever"と読めば、全て納得できるお歌となりました。
ほとんど祈り、何だか切ないです。祈りが届きますように。大西ひとみさん

「forever(永遠)」は口にしても、実現はしないとわかっているという意味合いで「ほとんど祈り」である、ということでしょう。通常、話している時には鉤括弧するしないの問題はないと思うので、 メール等文字としての会話の中でのことだったりするのでしょうか。
下の句が、主体がいつかの「きみ」を「鉤括弧した」のか、主体が知っている「いつかのきみ」が「forever」という言葉を「鉤括弧した」のか、等いろいろに読めてしまい、意味が取りにくいように思いました。桔梗さん

舌先をほとんど溶かす口づけが得意なきみの拍動を聴く

32席 9pt 桃×0 黄×2 緑×2 Bonus

小泉夜雨中牧正太なぎさらさCIPHER


息ができなくなってしまいそうな口づけですね。
「口づけが得意なきみ」よりも主体のほうがもっとドキドキしてはいないでしょうか。寿々多実果さん

官能的な歌ですね。「拍動」なので、主体が共寝しながら「きみ」の胸に耳をあてているような場面と読みました。ある意味、自分も相手も生きていると感じている時間なのでしょうね。
「(主体の)舌先をほとんど溶かす」ということかと思いますが(ディープキス?)、逆に舌先しか溶かしてないようなのでキスとしてはうまい方じゃない気もするのは気のせいでしょうか……助詞は、舌先「で」の方がよかったのでは?桔梗さん

舌先をほとんど溶かす、という表現から、おそらくは熱くて激しいキスのことをいっているものと思いました。その一方で、「拍動」という言葉には、どことなく静けさが感じられて、行為を越えて主体の冷静な側面が描かれているように感じました。天田銀河さん

以上32


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≪ 35代目うたの人37代目 ≫

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