34代目総選挙 開催:2017年06月01日~06日

 

サーバの悲劇を越えてゆく人の巻

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歌題『 べき 』

こめかみを窓に押しあて降りるべき駅の流れた夜をみている

第34代うたの人

首席 93pt 桃×12 黄×14 緑×3 Bonus

ぽつり木蓮村田一広CIPHERえだまめ知己凛伏屋なお衣未(みみ)文佳ナタカ小泉夜雨御殿山みなみえんどうけいこ寿々多実果ルナク太田宣子七緒なぎさらさ宮本背水メモリきいきつね萩野聡薄荷。楢原もか桔梗


「流れた夜」というのは、乗り過ごしてしまった降りるべき駅が風景として流れていくさまなのだろうと読みました。おそらく主体はこめかみを窓に押しあてているので、故意に降りなかったのでしょう。その裏にある生活背景までは読み取れないですが、どんなことがあったのかいろいろと想像を駆り立てられる歌だと思います。知己凛さん

ああなんだかその切なさが分かる気がしました。いろんな想像ができて、感情移入してしまうお歌でした。衣未(みみ)さん

降りたら嫌なことが待っているので降りられなかったのか、その後に起こる色々なことをわきまえつつも降りないことを決意したのか、降りるよりも魅力的なことが待っている場所へ向かうのか、このお歌を題材にオムニバス映画ができそうな勢いで脳内を侵食されました。ぽつりさん

「流れ」ていくのは「駅」であり、「夜」であり、また主体自身もそうなのでしょうか 様々な想像ができる素敵なお歌だと思います
窓のひんやりした感じを思い出しながら、そんな気分もあるなぁと、しみじみ実感しました小泉夜雨さん

「降りるべき駅の流れた夜」の中に、いうべきだった言葉、やるべきだったことなど、作者のさまざまな過去が内包されているように感じました。誰しもそういう「降りるべき駅」で降りなかった、「みている」ことしかできなかったような経験はあるはずなので、共感度の高い歌だと思います。「こめかみを窓に押しあて」に、作者のどうすることもできない気持ちがあらわれているようで心をうたれます。えんどうけいこさん

つい最近寝過ごして歌のような目に遭ったのでそう読んでしまいました。こういうときは外を見たくなるのがすごくよくわかり共感です。こめかみを窓に押し付けないと、自分の顔ばかりうつって夜を眺められないですし。御殿山みなみさん

「降りるべき駅の流れた夜」という表現がすてきで格好良いなとおもいました。地上を走っている電車に乗っているのだとおもうのですが、降りそびれて過ぎ去ってしまう「駅」自体を見ているのではなく駅の流れた「夜」を見ているという行為が、もしかしたらこのひとは電車を降りそびれたことに後悔していないのではないかなと想像できてちょっとした爽快感があってきもちいい短歌だとおもいました。蕨さん

シーンとしての映画のような美しさと、「降りるべき駅の流れた夜」というフレーズにやられました。こめかみを窓に押しあて、と、ちょっと冷静な目で自分を見つめて描写しているのがいいですね。
「べき」という題は、作歌しているとき、ともすれば押しつけがましかったり、独善的な視線になってしまいがちだったのですけど、この歌はそうではなくて、うまくいえないんですけど、きっちりと自分を見つめた上での「べき」で、それをしないことへの必然みたいなのがうっすらと読めるところにすごく惹かれました。宮本背水さん

「降りるべき駅の流れた夜」という表現がとても好きです。きつねさん

「駅の流れた夜をみている」がしっくりきませんでした。「流れた」は「夜」にかかっていて、主体はその「夜」を見ている。ただ、普通駅は流れませんから、「流れた」は主体から流れているように見えた、という意味ですよね?すると、駅が流れているように見えた夜をみている、ということ?となって混乱しました。静ジャックさん

主体は電車に乗っていてすでに「降りるべき駅」には来たのだけれど、降りずにその「夜をみている」。おそらくあえて降りなかったのであり、そこには何らかの理由があるのでしょう。それでいてどこか気持ちは少しそちらに残っているようなところが、細部から垣間見られる描写がとても素敵だと思いました。桔梗さん

話し合ふべきと思ふも君がもう寝てゐることに安堵してゐる

2席 58pt 桃×1 黄×24 緑×8 Bonus

ぽつり木蓮村田一広えだまめせしん知己凛WPP衣未(みみ)文佳井筒ふみかざなぎりん御殿山みなみえんどうけいこ寿々多実果西村湯呑ルナクみやこどり太田宣子ひの夕雅七緒なぎさらさスコヲプ宮本背水といじま森下裕隆きつね小川けいとあおきぼたん中牧正太楢原もか小林礼歩


気は乗らないけどどうしても言わなくてはいけないことがある…その時の心情を素直に思い出すことができるお歌です
タイミングを逃すと余計いいにくくなるのですが、一瞬ほっとしますよね、共感します小泉夜雨さん

二人の間に何かしらの齟齬があって、話し合わないといけないと思っているのですがなかなかタイミングをつかめず、できれば先延ばしにしたいと思っているのでしょうね。よくある光景ですが韻律がよくて、シンプルな内容が引き立ついい歌だと思いました。えんどうけいこさん

特に難しい表現がなく、まっすぐな詠み方が、共感性のたかいこの歌の内容によく合っていると思います。またなぜかしら静かな空気を感じます。かざなぎりんさん

言えない理由が自分の外にあるときのしょうがないという正当化に共感です。「ゐる」の繰り返しが問題の現在進行を強めているように思います。御殿山みなみさん

切りだしにくい話し合いを迫られている状況とはなんなのだろうと想像させつつ、「君がもう寝てゐる」からきょうはもう話し合わなくていいという安心感と、もしかしたらあした「君」が起きたら状況が変わって話し合いをしなくても済むかもしれないというちょっとした希望の可能性を感じさせる短歌だとおもいました。きっと「君」とのあいだに発生している状況はわるいものなのですが、一時的な安堵を求めてしまうことってあるよなあ・わかるなあと共感しました。蕨さん

話さなくてはならないのに、一時だけでも安堵している主体。逃げずにちゃんと話し合ってねと言いたくなります。
知己凛さん

主体としてもどこか気の重くなるような事柄を「話し合」わなければいけないのでしょうが、躊躇している間にもう「君」は寝てしまったのでしょう。ちょっとした問題の先延ばしにしか過ぎないとしても感じてしまう「安堵」という気持ちに共感を覚える歌だと思いました。桔梗さん

ほとんど迷わず秀歌に選びました。静かで、何といいますか目立ったところのない歌なのですが、非常に心を動かされました。いずれ避けては通れないこと、遅かれ早かれ表出してしまうだろうことの重さ、苦しさ、決行すればいっそ楽になるのにやはり言わずに済めば安堵してしまう気持ち、しかしそれも所詮は先延ばしにしか過ぎない憂鬱、そういう心情の渦が押し寄せてきました。WPPさん

こうするべきだと分かっていてもうやむやにしてしまったり先延ばしにしてしまうの、分かるなあと共感できる歌でした。
皆さんが書かれているようにとても共感できる感情を詠った歌なので、もう少しひねった場面設定でも面白さが増すのではないかなあと思いました。金子りささん

きみのいるべき空白に躓いて空の花瓶のような暮らしだ

3席 52pt 桃×3 黄×16 緑×5 Bonus

ぽつり村田一広CIPHERせしん和沢舞衣知己凛衣未(みみ)文佳井筒ふみかざなぎりん寿々多実果ルナク静ジャック太田宣子なぎさらさメモリといじまきいシュンイチ金子りさ薄荷。淡海わこ西村曜


空白に躓く、心に切り込んでくる言葉でした。ぽつりさん

「きみのいるべき空白」=「空の花瓶のような」というたとえがとてもマッチしていてすごくすてきだなとおもいました。「きみのいるべき空白に躓いて」からはいままではこういうときに「きみ」がいたけれどいまはもういないのだなあという寂しいひっかかりを覚えてしまう部分、「空の花瓶のような暮らし」からはいままでは花瓶に花が飾られているような華やいだ日々だったけれどいまはもう空っぽなのだなあという虚無感を想像しました。ことば選びが綺麗で澄んでいる印象のなかにこのひとの寂しさがすっと溶けこんでいるのが、胸をしめつけられるような切なさ・苦しさを感じさせていてとてもすきです。蕨さん

主体の寂しさがじわじわ伝わってきます。「空白に躓く」という表現でさらに寂しさを強く感じているのかもしれません。そこに、空の花瓶=花のない花瓶が出てきて、きみは花のように毎日を彩ってくれていたのだろうなというのも伝わってきます。
知己凛さん

「空白に躓く」「空の花瓶」というフレーズに、言葉選びのオリジナリティーというか、非凡なセンスを感じます。どういう暮らしなのか具体的なところは想像するしかないのですが、作者のなかでしっかりとその世界観があって、秩序立って作られている歌だと感心しました。「空の花瓶」は、意味から取ると「からっぽの花瓶」ということだと思いますが、僕は最初「そらの花瓶」と読んでいて、何て美しい言葉なんだろうと思いました(笑)。シュンイチさん

主体は「きみ」と何らかの理由により別れてしまったのでしょう。その不在を主体が受け入れきれてない様子が「空白に躓いて」というところによく表されていると思うのですが、「空の花瓶」と「空白」は同じことを示しているように思われるのが気になりました。桔梗さん

上句のはっとした感じと、下句の美しさに惹かれました。
私も最初「そらの花瓶」と間違えて読んでしまってそれはそれで綺麗でいいなと思ったのですが、「からの花瓶」と読むと音の乾いた感じもあってより寂しさが際立ってくるなと思いました。金子りささん

ああ僕はいつも一足遅いんだ逢うべき人の影ばかり踏む

4席 51pt 桃×4 黄×13 緑×11 Bonus

ぽつりCIPHERえだまめせしん伏屋なお文佳ナタカ小泉夜雨井筒ふみ御殿山みなみえんどうけいこ寿々多実果ルナクみやこどり太田宣子ひの夕雅天田銀河森下裕隆金子りさあおきぼたん薄荷。中牧正太楢原もか淡海わこ久哲小林礼歩


きっと、本当の出会いは神様がこの先の人生に準備していてくださるのだと思います。その出会いのための影踏みの悔しさ、寂しさ、切なさだろうと思います。ぽつりさん

もっとはやく出逢いたかったひとの背中を追っている短歌なのかなとおもいました。「一足遅い」から「逢うべき人の影ばかり踏む」という表現がすてきだなとおもいました。「逢うべき人」は「僕」のすきなひとなのだけれどすでに他の大切なひとがいて、「僕」はそれを見ていることしかできないという状況を想像しました。蕨さん

「今これをすべきなんだ」ということをいいタイミングでできなくて、失敗ばかりしていることを歌全体でたとえたのかなと思いました。下の句の流れがきれいですね。影って、踏んでいるようで相手が動いたり時間が経つと「踏んでいない」ということになりますから、すごくあやふやなものだと思います。チャンスや出会いというのも、そういうものかもしれないと思いました。天田銀河さん

主体はいつも間に合わない人のようです。寂しく悲しい歌ではあるのですが、シリアスさよりはどこか青春っぽい青さがあるように思えるところが好きです。ナタカさん

何ごとにも間に合わなかったという気持ちを「僕」は持っているのでしょう。しかも影は踏んでいるので、寸前のところで間に合わなかったというところがよりその悔しさを感じる要因にもなっているのでしょうね。「僕」という一人称からどこか年若い印象を受けるので(実際は必ずしもそうというわけではないでしょうけれど)、うまくいかない青春時代の挫折というか感傷みたいなものを感じました。桔梗さん

新聞の訃報を見て、ああこの人の演劇をみておきたかったな、この人の歌を生で聞いておきたかったな、と思うことがあります。もちろんDVDやCDで観たり聴いたりはできますが、それは影なのかなと。「逢いたい人」より「逢うべき人」というのがより切迫感がありますね。逢いたいとおもったらできるだけ逢っておくべきだなと思いました。あおきぼたんさん

ほんの少しタイミングが合わずに、人や物と出会う機会を逸してしまう後悔や寂しさが感じられました。「逢うべき人」という表現に、取り返しのつかない感じが出て、哀しさが強く現れていると思います。薄荷。さん

どうしても記憶と違ふ死ぬまへに会ふべきだつたひとの鼻すぢ

5席 49pt 桃×4 黄×12 緑×11 Bonus

木蓮せしん知己凛岡桃代文佳ナタカ小泉夜雨井筒ふみかざなぎりん寿々多実果西村湯呑ルナクひの夕雅七緒スコヲプ宮本背水メモリ森下裕隆金子りさきつね小川けいとあおきぼたん中牧正太西村曜久哲桔梗


亡くなった人の顔が生前と違って見えることってあります。それはおよそ生理現象と言っていいと思う。なのに主体は“こんなじゃなかったはず”と自分の記憶を疑っている。そこには死ぬ前に会いに行かなかったことを悔やんでいる気持ちが表れています。死別を後悔という形でむかえることほど辛いことはないでしょう。胸が痛い。WPPさん

主体の感じた「記憶と違ふ」「鼻すぢ」に「会ふべき」だった人の死を受け入れがたい辛さが凝縮されているように感じました。同じような経験があり心が痛くなりました。会うべき人には少し無理をしてでも会える時に会っておこうと強く思いました。木蓮さん

しばらく会うことのできなかった人の死に立会い、記憶と違う死に顔に、会っておけばよかったという後悔。余韻のある歌。知己凛さん

あ、亡くなった人のことなのか!?
完全に読み違ってました。
死んだのは本人かと。 亡くなる前に逢いたかった人のところに出た幽霊が、なんか違う、なんでやろ、と悩んでる。
この世に未練があるわけじゃないけど、生前に会うべきだったとあの世に旅立って行く歌だとばっかり^^;
鼻すぢがいい味で、とても好き。
井筒ふみさん

私もこれは主体が亡くなった側として読んでおりました。
情景としてはいまわの際、正にうとうとと眠るようにこと切れていく中で思い描いた「会うべきだった人」、その人の鼻筋がどうにも記憶と違うような気がしている。確かめたいけどもう無理かな‥‥みたいな。
もしくは、やはりいまわの際、自分を覗きこんだご無沙汰であろう「人」の顔の印象が違う。元気だったらば笑って「整形した?」とでも聞けるところ、笑う元気もなく悔やむ‥‥といった感じ。
亡くなった相手に対して思う「会うべきだった」と、死にゆく自分が思う「会うべきだった」を対比させたとき、後者の方がさっぱりとコミカルな印象で好きなんですよね。
しかしながら、両側からアプローチが可能な歌という点で、とっても面白くて興味深かったです。(真相、知りたいです♪)ひの夕雅さん

生きていた頃のように表情を持たない顔は、記憶の中でのその人のイメージとは異なるでしょうし、亡くなったことによる実際の変化ということもあるでしょう。「鼻すぢ」という一語が顔全体の象徴として描かれていて、そこにやりきれない思いが込められているような感覚がありました。「死ぬまへに会ふべきだつた」と後悔する様からは、急な死であったこと、また、会おうと思えば会えたが、そうしなかったということがうかがえて、そのような間柄の人がいなくなることで、改めて大切であったことに気付かされるということが非常によく理解でき、胸が痛む思いでした。スコヲプさん

生きていれば、人の顔をあまりにじっと見つめたりすることって、そう言われてみればないですね。でも亡くなった時、最後のお別れのときにはすごくその方の顔を見ます。きちんと憶えておくために。物理的な要因で印象が変わることもあると思いますが、自分の記憶や感情をこれほど重ねて人の顔を見るのは、別れの時かもしれませんね。もっと会っておきたかったという気持ちが、その方の最後の印象を変えているのかもしれないと、自分の経験も重ねて考えました。とても深い歌だと思います。文語のやわらかさもよくマッチして、いると思います。かざなぎりんさん

主体がその「ひと」に会ったのは死後だったのでしょう(死に目にまにあわなかった)。生前の姿と重ね合わせてしまい、その差異に気づいてしまうことのやりきれなさみたいなものを感じます。「鼻すぢ」という細部に見出すところが冷静なようで冷静でないような感じがして良いと思います。
桔梗さん

私は会っておくべきだった人の死に間に合わなかった歌だととりました。他人の顔はあまりしっかり見る機会がありません。しかし亡くなった方の顔は身内や関係者なら最後にきちんと見ておこうとするものだと思います。そこで生まれた鮮明な違和感が表されている歌だと思い、惹かれました。小川けいとさん

笑ふべき言ふべきすべき べきべきと心を折つて生きるあなたは

6席 49pt 桃×4 黄×12 緑×8 Bonus

木蓮せしん和沢舞衣伏屋なおWPP小泉夜雨御殿山みなみ寿々多実果ルナク七緒なぎさらさスコヲプといじまきい森下裕隆きつねあおきぼたん萩野聡淡海わこ西村曜小林礼歩


べきという言葉には“自分の本意ではないけれど(一般的に見た場合に)そうした方が良い”というようなある種の妥協・迎合的意味合いも感じます。それが上手く表現されているなと感心しました。心が折れる音になぞらえている点など見事と思います。WPPさん

5音、4音、3音とべきが重なっていき、かつ行動の難易度も上がっていくようです。細かく窮屈に心の折れていく様子がリズムを伴って強烈に伝わってきます。御殿山みなみさん

「べき」が繰り返される音がたのしい短歌でもあり、「あなた」の苦しみを感じさせる短歌だなあとおもいました。おそらく「あなた」は笑いたくない・言いたくない・したくない、あるいは笑うのが苦手・言うのが苦手・するのが苦手なのだとおもうのですが、それでは駄目なのだと言い聞かせてじぶんを折って生きているのだなと想像しました。同時に、このひとは「あなた」が本来のじぶんを折って生きていることを知っているので、このひと自身も本来のじぶんを生きていない「あなた」のことを悲しいと感じているのではないかなとおもいました。蕨さん

べきべきという心の音が聞こえてくるようで痛々しいです。きっと「あなた」は真面目な方なのでしょうね。
「べき」という言葉のもっている硬さが上手く使われているなと思いました。あおきぼたんさん

題の「べき」を衒いもなくストレートに詠んでいるにも関わらず、飽きのこないとても良い歌だと思いました。それを支えているのは韻律の良さがまず一つだと思います。「べき」のリフレインが心地よく、よく考えて配置していると思います。二つ目は、「べきべき」という心を折る時のオノマトペ。ここに面白みというか平凡で終わらない魅力があると思います。歌意もとても素敵だと思います。「あなた」はとても真面目な方で、周りに気を遣うことが多いのだと思います。それで大丈夫なのだろうか、いつか本当に折れてしまうのではないかと、主体の心配している様子がとても伝わってきます。とても大好きな歌です。萩野聡さん

「べき」というお題がここまで盛り込まれていて、リズムがよいところに惹かれました。前の方が書かれたように「あなた」は真面目な方で、心が折れていくのを主体が不安に思いながら見守っているように感じられます。薊さん

「べき」という世間からの言葉の圧迫感に心を折りながら「あなた」は生きているのでしょう。他の人より繊細なのかもしれませんね。主体はそんなあなたの姿を傍らで見ているのだと思うのですが、どんな思いでいるのかが気になるところです。桔梗さん

ありがとうございました😳天田銀河さん

愛すべき馬鹿を愛して馬鹿になる 風はいつでもすっぽんぽんだ

7席 47pt 桃×4 黄×11 緑×7 Bonus

CIPHER和沢舞衣伏屋なおWPP寿々多実果西村湯呑静ジャック太田宣子ひの夕雅七緒なぎさらさスコヲプ宮本背水天田銀河シュンイチ金子りさあおきぼたん萩野聡西村曜久哲


「馬鹿」を愛おしく感じられていることや、そんな「馬鹿」を愛してしまった自分の馬鹿さ加減への肯定感が、「風」の「すっぽんぽん」という表現や、一首のリズムの良さから、ナチュラルに伝わってきました。このナチュラルさに魅かれました。太田宣子さん

「べき」の効果はさておき、「愛」と「馬鹿」の相性の良さに改めて感じ入りました。愛は愚かを肯定できる魔法の風です。風が通り抜けるとき裸の自分を感じられるなら、それは素敵なことだと思います。WPPさん

はじめて目をとおしたときには、だからなんやねん!(笑)とツッコんでしまったのですが、「風はいつでもすっぽんぽんだ」というのは面白い発見だなあとおもいました。風ってにおいを運んだり落ち葉を巻きあげたりしてほかのなにかに作用することはあっても、風自体に色はないですし、もちろんなにも着ていないですし、すっぽんぽんですよね。同時に、「風はいつでもすっぽんぽんだ」といういい意味で馬鹿っぽいフレーズと、「愛すべき馬鹿を愛して馬鹿になる」というこれまたいい意味でありがちで馬鹿っぽいフレーズがとてもマッチしていて、情景はよくわからなかったのですがことばのリズムがたのしくてすきだなあとおもいました。蕨さん

ふしぎなセンチメンタルを感じる一首です。すっぽんぽんになったような気持ちで誰かのことを愛せるってしあわせなことだし、大人になってすっぽんぽんでいることの怖さや恥ずかしさを知ってしまうとなかなかできないことですよね。この「愛すべき馬鹿」は自分自身の子どものころのことじゃないかと思います。バカばかりしていた日々を愛おしく、そして何より誇りにさえ思っているようなところが、何というかまたいい意味でバカっぽくて素敵だなあと思いました。シュンイチさん

上の句だけだと言葉遊びだけのようにも見えるところを「風はいつでもすっぽんぽんだ」とさらに意味を加速させるようなフレーズが来て、妙にパワフルで説得力がある歌になっていると感じます。キャッチコピー的と言うと否定的な意味合いになりがちですが、これはいい意味でキャッチーさや格言のような強さを持ち合わせた、非常に楽しい歌だと思いました。スコヲプさん

「馬鹿」「すっぽんぽん」というおどけた感じの言葉使いのせいか、愛唱性は高く妙な勢いのある歌だと思います。桔梗さん

『風はいつでもすっぽんぽんだ』凄いセンスだと思います。そうそう出ませんよ。久哲さん

僕たちはまた会うべきだ片割れを失くしたゴリラの背中見たかい

8席 44pt 桃×3 黄×12 緑×10 Bonus

木蓮CIPHER伏屋なおナタカ井筒ふみ西村湯呑ルナクひの夕雅七緒なぎさらさスコヲプ宮本背水天田銀河メモリきい森下裕隆シュンイチ金子りさきつね萩野聡薄荷。中牧正太西村曜


「べき」を使うことでおそらくはただの未練を何か意味ありげに思わせる口説きのテクニック(笑)、いいですね。強引でおどけた風を見せながら、「ゴリラの背中」に共感を覚えてしまう主体の哀愁も漂っています。WPPさん

「べき」を使うことでおそらくはただの未練を何か意味ありげに思わせる口説きのテクニック(笑)、いいですね。強引でおどけた風を見せながら、「ゴリラの背中」に共感を覚えてしまう主体の哀愁も漂っています。WPPさん

いやまだ見てへんねん、とつい返事をしたくなるような語り口だなあとおもいました。「僕たちはまた会うべき」と相手に説くのに「片割れを失くしたゴリラ」をもってくるなんて「僕」って面白いひとなのだなという印象をうけました。「片割れを失くしたゴリラの背中」ってたぶん見たことがあるひとはほとんどいないのではないかなとおもうのですが、きっと背中を丸くしておおきいからだがちいさく見えてしまうようなうしろ姿なのだろうなあとなぜだか想像がつくフレーズで面白いなあとおもいました。蕨さん

ゴリラは遠い遠い人類の先祖の姿を暗示させます。「片割れを失くしたゴリラ」の悲しそうな背中に、何万年と前からくりかえされてきた人類の出会いと別れの悲喜こもごもを思ったのでしょう。抗えない理由で別れてしまったもの、進化の途中で枝分かれして、二度と同じ道を歩むことはなかったものへの、郷愁と愛情、そして尊敬の念を抱いているのではないでしょうか。この「僕たち」は、特定の誰かというよりは、非常に大きな主語として読むべきではないかと思いました。シュンイチさん

強引な口説き文句でありながらも、妙な憎めなさの漂う台詞で、それは「ゴリラ」という存在の親近感であったり、普通は屈強なものの例えとして挙げられる「ゴリラの背中」が片割れをなくしたことで違って見えたという、詩的な視点の面白さによるものなのかもしれないと感じました。コミカルであるようで、悲哀も感じるような、妙な感覚がして面白い歌でした。スコヲプさん

ゴリラの背中、きっと広くて俯いていて、少し白髪が混じっていたりするんでしょうね。
「べき」って、自分の正しさを他者に強要するニュアンスのある言葉なので、扱いが難しいなあと思っていたのですが、「見たかい」なんて寂しげな言い方をされてしまっては、じゃあまた会いましょうか、という気になってしまいますね。
主体自身にもゴリラ的哀愁が漂っているような印象です。森下裕隆さん

自分の都合の良い方に話を引っ張るためにゴリラを持ち出すだなんてゴリラと一緒にしないでくれとも思うけれども、ユーモラスさに負けて許せてしまうし、なんならまた会ってしまいそうだし、主体の憎めない人っぷりが伝わってきます。ユーモラスでありながらも笑いの方に振り切ることなく、ふっと淋しさが残るところが好きです。ナタカさん

「片割れを失くしたゴリラの背中」を見たことはないのですが、想像するにきっとさみしさが溢れた背中なのでしょう。それぞれに片割れをなくした「僕たち」(かつて付き合っていたふたり?)の自分では見えない背中もきっとそんな背中をしているのだから、ということなのでしょうね。桔梗さん

「べきだ」「見たかい」というちょっと気取ったような口調が効いているとおもいました。「また会うべきだ」の根拠として「片割れをなくしたゴリラの背中」(は、かなしいだろう、そうはなりたくないだろう、ということだとおもうのですが)をもってくるユーモラスな発想が、その口調によってさらに魅力的なものになっていると感じます。西村曜さん

すみません、上記の評の訂正【なくした】→【失くした】です。たいへん失礼しました。西村曜さん

保育器の中も心地がよいですか生きてゆくべき人あくびする

9席 43pt 桃×4 黄×9 緑×11 Bonus

ぽつり村田一広CIPHERえだまめせしん岡桃代文佳小泉夜雨かざなぎりん御殿山みなみ寿々多実果ルナクみやこどり静ジャック七緒なぎさらさスコヲプといじまあおきぼたん薄荷。中牧正太楢原もか久哲


淡々としているようで、胸にしみます。この「保育器」が、新生児が皆一人ずつ入るものか、特別な措置が必要な状況で入るものかで意味合いが変わってきますが、下の句の「生きてゆくべき」に親の想いが集約されており、いっぽう本人はのんびりと「あくび」をしているという組み合わせに心が動かされました。岡桃代さん

保育器は、新生児全員が入るものではなく、低体重児やその他必要があるときに入るものだと記憶しています。きっと主体は、おなかの中と保育器の中の比較をしていて、その中も心地がいいのかしら、大丈夫かしら、と心配している。一方赤ちゃんは、そんなこと気にせずにゆったりとあくびをしている。保育器に入っていることなんてへっちゃらという顔で。そこで「生きてゆくべき人」がフォーカスされ、この子は生きていけるんだと確信が持てます。
なんとなくネガティブな言葉である「保育器」を希望のあるものに変えているところは共感します。ただ、生きてゆくべき人がいる反面生きてゆくべきではない人とはどういう人なのか。そこがひっかかりました。知己凛さん

保育器のことをよく知らなかったので調べながら読みまして(知識不足ですみません……)、「生きてゆくべき人」とは体重がすくなすぎる・発育に心配がある赤ちゃんのことなのだろうとおもいました。母胎(=心地がよい場所)から出てきて、ほんとうは母親の腕や家やゆりかごのなかがつぎの心地よい場所になるはずなのですが、わけがあってしばらく保育器に入ることになる。保育器というのがプラスチックのカプセルみたいで狭いし息苦しそうな印象をうけたのですが、そのなかで赤ちゃんがのんきにあくびをしているのがまだ不安ではあるけれど母親(あるいはその家族)がすこし安心感を得られた感じが出ていていいなあとおもいました。蕨さん

生まれたばかりの赤ちゃんなのでしょう。保育器の中にいるということで未熟児なのかなと思ったのですが、「生きてゆくべき」という言葉が赤ちゃんの生命力や主体の願いのようなものが感じられて下の句はよいと思いました。それだけに上の句がやや微妙な感じもして…
桔梗さん

なんと言うべきだっただろう母親の言葉で終わった最期の会話

10席 43pt 桃×4 黄×9 緑×10 Bonus

ぽつり木蓮CIPHERせしん和沢舞衣知己凛伏屋なお岡桃代あき御殿山みなみえんどうけいこルナクみやこどり静ジャック太田宣子ひの夕雅きいあおきぼたん萩野聡薄荷。中牧正太桔梗小林礼歩


ずっとずっと心に引っかかったままの情景ってありますよね。こんな風にお別れしてしまう人がこの先何人いるのだろうと考えてしまいました。なるべく、心残りの無いように、毎日を丁寧に生きて行けたらいいなと思いました。…努力目標にするということは、なかなかできないということの裏返しですが。ぽつりさん

「母親」が何かを言って、でもそれに応えずにぷいっと去ってしまった自分の行動を悔いている、そんな感情を表現した歌だと思います。
「母親」という表現から、二人の心理的距離の遠さを感じます。あえてのことかもしれませんが、母に対する思い、(もしかして、もう逢えなくなってしまったのかもしれませんし、自分が歩み寄ればすぐに仲直りできるほど近くにいるのかもしれませんが)が込められた歌からすると、もう少し距離の近い表現でもよいのかなと感じました。「母」「母さん」「オカン」色んな表現があって、それによって関係性の見え方が随分変わると思います。私は、もっと心的距離の近い表現のほうが、胸に迫るものを感じさせる効果があるように思いました。かざなぎりんさん

今回並んだすべての歌を一読した時に、読み手であるこちらに対するエモーションが強烈だった歌です。何気ないことばですんなりと詠まれているのに、すんなりであるがゆえに背景に渦巻く様々な感情が混ざり合うでもなく複雑に絡みつきあってる様子がリアル。
或いは脚本家の立場にでも見紛うようなドライな主体が不気味だったとも言えます。
自問自答ともとれますが、恐らくは外野からやいのやいのと言われ、それに対する主体の本音だったのかもしれません。少々穿った読みかもしれませんが、なんの飾り気もなく、呟きのようにこぼれ落ちてきたことば、その素直な配列がこの歌を印象的にしている気がします。ひの夕雅さん

母親の最期の言葉から母親の最期までの空白時間を強く感じました。それは振り返って何度も悔やんでしまう類のものだと思います。御殿山みなみさん

母親の最期のことばってなんだったのだろうと考えさせる短歌だなあとおもいました。最期の会話ってきっとつらいですし、もしかしたら話の途中で母親は死んでしまったのかもしれない。その状況で最期になにを言ってやればよかったのかというのは、そのひとが生きているあいだずっと問いつづけることになるのではないかなとおもえて、苦しいきもちになりました。蕨さん

素直に読むと、母と主体が交わした会話で、母の言葉で終わったということだと思いますが、私にはどうしても二人だけの会話と読めませんでした。
病室に見舞った家族で話しているうち、母が発した言葉で終わった会話。最期を迎えたのは父(もしくはそれ以外の方)のように思えてしまって。ただ、どのようなシチュエーションだったとしても、主体が言い出せなかったなにかを後悔していると感じました。知己凛さん

すみません。2番目に評を書いたのですが、「最後」と「最期」を読み間違えていました。なので「歩み寄れば仲直りできる」ということはあり得ませんね。感じた内容に変わりはないのですが不注意でした。ごめんなさい。かざなぎりんさん

「母親」との今際の際の会話のことなのか、それとももうすこし前のもうすこし元気で普通に会話が出来た時の会話(その後に会話する機会がなくなった)ということなのか、いずれにしても主体には答えにくい事柄についての会話(というか母の問いかけ)だったのかなと類推されます。今はもう亡くなっているだろうことを考えると、母本人には内緒にされていた病気のことについて、本当のことを言えないままだったことに対する後悔(打ち明けて残りの時間でも心残りのないようにできたのではないか、というような)なのかなとも思うのですが、そこまで読むと深読みしすぎなのかもしれませんね。桔梗さん

然るべき時はまだまだ先ですか然るべき人かもしれぬ人

11席 38pt 桃×1 黄×14 緑×4 Bonus

木蓮村田一広CIPHERえだまめWPP衣未(みみ)ナタカ小泉夜雨御殿山みなみ寿々多実果ルナクスコヲプあおきぼたん楢原もか淡海わこ久哲桔梗小林礼歩


どう「然るべき」なのか具体がないところが良いなと思いました。いろいろ当てはめて読んでいたら、出会う(出会った)人すべてが何らかにおいて「かもしれぬ人」なんです。「まだまだ先」か「そろそろ頃合」かの違いはありますが、人との関係って可能性の塊だな、と。もしかしたら詠者は特定の人物を歌ったのかもしれません。それはそれでその後のドラマを想像させて楽しいです。WPPさん

「然るべき時」とはなんなのだろう、「然るべき人」とはなんなのだろうと考えてはみたのですが、想像のとっかかりになる情報がなくてこの短歌が言いたいことが広すぎて読みとりづらいなとおもいました。また、作者のカラーがあまり感じられないからなのかもしれませんが、この短歌がこの世のできごと全般を指しているのだとしたらこの短歌は作者以外にもつくれてしまうような気がしました。(それはもしかしたらわるいことではないのかもしれませんが、わたしはネガティブなほうに捉えてしまいました。)蕨さん

「然るべき」は「運命」のような意味で読み、「プロポーズはまだですか、運命の人かもしれない人」のような内容として受け取りました。これだと直接的すぎるので遠回しな表現になっていますが、すっとこの意味で読んだので広すぎるとは感じませんでした。ナタカさん

「然るべき」は結婚あるいはこれからの将来を共にする、という意味合いなのでしょうか。「然るべき」というと何か大きな決断を迫られている(ことの直言を避けて濁している感じ)というイメージです。出会ったばかりでこれから付き合いを深めてゆくけれど、なんとなくこの先の展開も考えてもいいかしら…と思っているような雰囲気を感じました。桔梗さん

「然るべき」は結婚という意味で読みました。とても良いお付き合いを長年しているのに結婚に踏み切ってくれない相手。それにちょっとヤキモキしているという感じかと思いました。でもあえて焦点を絞ってない感じもするので、これ以外の読みもできると思います。強いて言うなら一首が全部抽象的な言葉で終わっているので、なにか具体があると一首が引き締まるような気がしました。萩野聡さん

夜を食う怪物のことを知っていて秘密にすべき朝焼けの色

12席 36pt 桃×1 黄×13 緑×6 Bonus

村田一広CIPHERせしんあき衣未(みみ)小泉夜雨御殿山みなみ西村湯呑ルナクひの夕雅なぎさらさ宮本背水メモリシュンイチ小川けいとあおきぼたん桔梗小林礼歩


一首のなかに小説のような物語があって面白いなあとおもいました。「夜を食う怪物」に「朝焼けの色」を食べられなくないからこのひとは「秘密にすべき」とおもっているともとれますし、「夜を食う怪物(=夜を食べなければ生きてゆけない)」が「朝焼けの色(=夜のおわり)」を知ってしまったら夜を食べるのをやめてしまうかもしれない・そうしたら怪物が消えてしまうかもしれないから「秘密にすべき」とおもっているともとれて、読みかたを考えるのがたのしい短歌ですきです。蕨さん

全体にあまり意味を込めない、東直子さんのようなタイプの歌という気がしました。下句は、「朝焼けの色」は自分だけの秘密にしておきたいという感じかなと思います。恋愛の歌として読むと、何も特別なことが起こらないまま朝を迎えてしまったもどかしさや、やりきれなさのような感情も表されているような気がしました。シュンイチさん

何となく夜は怖いものが出てくる時間という感じがしますが、そんな夜を食べてしまう怪物ならば何となくいい怪物のようにも思えます。怪物によって夜が食い尽くされたところで朝がくるのだと思うのですが、その辺で「朝焼けの色」が何か関わってくるのかも知れませんね。「知っていて」という言葉にちょっと引っかかりましたが、童話のような世界観が面白いと思います。桔梗さん

質素だし頑張り屋さんのわたしにはいいガシャポンが出てくれるべき

13席 33pt 桃×0 黄×14 緑×8 Bonus

CIPHERえだまめせしん岡桃代あき小泉夜雨御殿山みなみえんどうけいこ寿々多実果西村湯呑みやこどり静ジャックひの夕雅スコヲプ天田銀河メモリ金子りさ小川けいとあおきぼたん楢原もか西村曜


「質素」とか「頑張り屋さん」とか自分で言ってしまうのが好きです 求めているものも「いいガシャポン」…一番いいやつがあたりますように小泉夜雨さん

ソーシャルゲーム全盛の今ガシャポンというとお金をじゃぶじゃぶ使うイメージがありますが、初句が主体の素直さを際立たせていると思います。バランスの良い運命思考が好きです。御殿山みなみさん

わたし質素に生活してていっつも頑張ってるんやからこういうときくらいいいこと起こってよ、っておもうときってあるよなあと共感しました。同時に、「質素だし頑張り屋さん」と他者が評価するのではなくじぶんでおもってしまうのってちょっとずうずうしい感じがあって、こういうふうにおもってしまうときっていいことがなかなか起こらないのよなあと、そういった意味でも共感しました。これが宝くじが当たるべきだったらほんとうに傲慢なひとだなおもうのですが(笑)、いいことに「ガシャポン」を選んでいるのが「わたし」の憎めないキャラクターを醸しだしていていいなとおもいました。蕨さん

たしかに、そういう風に考えることあります。ガシャポンという言葉のチョイスが絶妙だと思いました。あおきぼたんさん

「質素だし頑張り屋さんのわたし」を自分で言ってしまう主体にはちょっとイラっとしますが、代償が「ガシャポン」というところのほのぼの感で相殺されているのかなという気がします。
桔梗さん

「べき」という言葉の持つ、押しつけ感というか決めつけ感というか、ともすればネガティブなイメージにつながりやすいところを、うまく明るい印象に切り替えているところに、面白さを感じました。天田銀河さん

十代でやるべきだったこと全部今からやれる今が青春

14席 31pt 桃×2 黄×8 緑×4 Bonus

CIPHER和沢舞衣伏屋なお衣未(みみ)静ジャックひの夕雅宮本背水といじまきい森下裕隆シュンイチ金子りさ楢原もか淡海わこ


「青春をやり直す」ではなく「今が青春」というのが良いですね。今からでもチャレンジしてみよう、10代の時に味わえなかった青春を今になって、しかも全部味わおうとするバイタリティが羨ましいです。刺激は若さや元気を保つ上で良いものですし、青春をぜひ謳歌なさってください。伏屋なおさん

「十代でやるべきだったこと」を二十代以降でも「今からやれる」とおもえるのは強いなあとおもいました。「今が青春」と言い切っているのも清々しいです。あまり深く読もうとしなくてもいい短歌なのかもしれませんが、宣言っぽさ・格言っぽさがあるせいかそれ以上の想像をさせてくれない感じがしてちょっと窮屈な気もします。蕨さん

十代の時もそれなりにやるべきこと、やりたいことをやってはいるんだけど、二十代になって振り返るとやりきれていない気がする。後悔するだけでとどまらず「今からやれる今が青春」と言えるところが素晴らしいです。静ジャックさん

「今からやれる/今が青春」のゆるい四句切れがよく効いていて、力強い印象の一首です。深読みしないでそのまま清々しく読めるところもいいと思います。自分が一番輝くことができる日々を青春と呼ぼうという、自分に対するポジティブなメッセージがすごくぐっときました。内面の暗さや屈託を歌にした作品を読む機会が多い中で、シンプルで力強いこうした作品も大切にしていきたいですね。シュンイチさん

時代やその家庭環境などでまだ自立していない十代のときにはできなかったことというのはたくさんあるでしょう。何かを始めるのに遅いということはなく、今からでもやれるという前向きな気持ちでいる主体なのでしょうね。本当に「全部」やれるかっていったら、「今」の年齢によってはちょっと難しい感じもしますが…。桔梗さん

私もあれをやるべきだったこれをやるべきだった、と後悔してしまう性格なので励まされる歌でした。笑
下句の「今」の繰り返しも、”自分が”今を青春と決めた、という力強さがあっていいなあと思いました。金子りささん

女とはこうあるべきと説くきみはまだままならぬ恋を知らない

15席 23pt 桃×0 黄×9 緑×10 Bonus

木蓮CIPHERえだまめせしん和沢舞衣文佳えんどうけいこ寿々多実果ルナク静ジャック宮本背水といじま森下裕隆小川けいと薄荷。中牧正太楢原もか久哲


確かに教えられた通りになる、できると思うのはまだ経験してない時ですよね。あとで「あれ」とか「こんなはずじゃなかった」「みんな言ってることが違う」と気付いていく。説くきみとあるから同年代の同性・異性でしょうか。知らないことを羨ましく思ってるのか、冷ややかに見ているのか判別できませんが、重みのある歌だと思いました。伏屋なおさん

主体と作中のきみ両方が、男性でも女性でも読み進められるので、幾通りもの解釈が可能という点がとても興味深いです。女性が女性のことをきみと呼称するかはさておき、女同士のやり取りとして読んでもまた面白いと思います。色んな組み合わせで楽しんでみたところ、私は主体が男性、きみが女性というのが一番含蓄があって好みです♪(ちょっとエロくて)
ひの夕雅さん

「きみ」が男性であれ女性であれ「女とはこうあるべき」と定説を唱えておいて、「きみ」自身は恋というものはままならぬものであること・あるいはこのひとと「きみ」がままならぬ恋をしていることに気づいていないという情況が面白いなとおもいました。蕨さん

「きみ」は素直に読んだら男の子で、しかも自分の息子、弟とか、近しい関係の少年じゃないかと思います。恋に対してまだウブで、教科書に書いてあることやアニメやマンガのなかの恋しか知らないような少年が、自分のなかのせまい見識で語る「女とはこうあるべき」を、少し危うく思いながらもかわいらしく感じている、そんな主体の優しい心情を詠んだものではと解釈しました。シュンイチさん

恋は落ちるものであるという話はよく言われますが、相手に理想論で条件をつけているうちは「ままならぬ恋を知らない」ということなのでしょうね。そんな思いを主体はおそらくは身を持って体験しているけれど、知らずにいるだろう「きみ」をどこか冷ややかな視線で見つめているような印象を受けました。桔梗さん

二人して云ふべきことを忘れては顔を合はせてきらきら笑ふ

16席 23pt 桃×0 黄×9 緑×8 Bonus

木蓮村田一広伏屋なおかざなぎりんルナクみやこどり森下裕隆小川けいと萩野聡薄荷。中牧正太淡海わこ桔梗小林礼歩


ほほえましい情景だと思います。「きらきら」から若い恋人同士か、友達同士の感じがします。同時に何か言いかけて、「どうぞ」「いえいえそちらがお先に…」とやっているうちに、言うべきことがどこかへ行ってしまったのか、それともお互いに言うべきことを持っていたのに、顔を合わせたとたん、別の話題で盛り上がってしまったのか…いろいろ読めるとは思いますが、二人の関係性がよく表われていると思います。かざなぎりんさん

日常生活で話が脱線したりして「いまなんのはなししてたっけ?」ってなることってよく起こるとおもうのですが、おそらく大事なことである「云ふべきこと」までおたがいに忘れてしまって、忘れてしまったけれどあなたとわたし(=二人)は笑っている、しかもきらきら笑っているというのが、このひとたちの関係はわるいものではなく幸福なものなのだと想像できてすきです。きっとこの二人のあいだに流れる時間はゆるりとしていて、心地良くって、傍からみてもすてきに映るのではないかなとおもいました。蕨さん

「きらきら笑ふ」がとても良いです。さりげないけれどうつくしい一瞬をうまく切りとっています。森下裕隆さん

二人それぞれに相手に対して「云ふべきこと」があったのに、譲りあったりしているうちに忘れてしまったのでしょうか。忘れちゃったけどまあいいか、みたいな和やかさを感じます。「きらきら笑ふ」のはそれもまた幸福な時間ということなのでしょうね。桔梗さん

言うべきじゃないことも言う人といてテレホンショッキング明るく終わる

17席 21pt 桃×0 黄×8 緑×5 Bonus

村田一広CIPHER伏屋なお文佳ナタカ小泉夜雨寿々多実果太田宣子森下裕隆萩野聡中牧正太西村曜


「テレホンショッキング」が「笑っていいとも!」のコーナー自体(テレビに映っている)を指しているのか、テレホンショッキングみたいな状況を指しているのかのどっちかははっきりとはわからなかったのですが、わたしは後者のほうの解釈で読みました。「明るく終わる」なので「言うべきじゃないことを言う人」は毒舌だけれど愛されるキャラクターをもった人物なのかなあと想像しました。同時に、「明るく終わる」とこの人は感じているので、この人と「言うべきじゃないことを言う人」の仲は良好で、よい人間関係のふたりなのだな・こういう関係いいなと微笑ましくおもいました。蕨さん

すみません、「言うべきじゃないこと“も”言う人」でした。失礼しました。蕨さん

テレホンショッキングはハプニング(放送事故)が起きるイメージがあります。ハプニングがあっても最後は「明日来てくれるかな?」「いいともー!」で明るく終わる。明るく終わらなければならない。主体と一緒にいる「言うべきじゃないことも言う人」はたぶん、倫理的に問題がある発言をするというよりは、いわゆる「空気が読めない」タイプなのだと思います。そのひとがまた何かまずいことを言って、それでもテレビの中ではテレホンショッキングがいつも通り明るく終わる。それでなんとなく救われような(終わりよければ全て良しであるような)、それでもなんとなくもやっとする感じが残るような、そういう微妙な気持ちをとらえた歌なのかなと思いました。ナタカさん

「言うべきじゃないことも言う人」の意味が、「言うべきじゃないこと」を誰かに言ってしまうような人(=一言多い人、口が滑りやすい人)なのか、逆に「言うべきじゃないことも」その相手だとつい自分の口が滑って言ってしまうような人(=話しやすい人?)なのかどちらかちょっと悩んだのですが、どちらかというとこの場合は前者っぽいのでしょうか。テレホンショッキングというか、いいとも自体がすでに終わっている番組なので実際にテレビを観ているわけではなく回想しているのかなと思ったのですが、タモリさんのトーク力(というかスルー力)あってのあの番組だったのだろうなとしみじみ感じます。桔梗さん

渡されたコウアルベキのいくつかをチェーンメールと一緒に棄てる

17席 21pt 桃×0 黄×8 緑×5 Bonus

村田一広CIPHERせしん岡桃代井筒ふみ御殿山みなみルナクなぎさらさきいシュンイチ萩野聡


チェーンメール。いつまでに何人に送らないとどうにかなるっていうアレですね。たしかに「べき」を「渡される」という表現がぴったりだと思います。そして、チェーンメールだけでなくて、日常には渡された「べき」が確かに多くありますね。気づいていないことも多いけれど・・・。チェーンメールをきっかけに、そういう押し付けられた「べき」に気が付いて、さっくり捨てることですっとする感じがよく表われていると思います。かざなぎりんさん

コウアルベキと固有名詞のような表記が押し付けられる規範の遠ざけを強くしているなと感じます。捨てるのがいくつかというのがやけくそでもなく取捨選択をする意思の強さの表れで芯が通っていると思います。御殿山みなみさん

「コウアルベキ」がカタカナで書かれていることでひとつの名詞になっているところが面白いなとおもいました。チェーンメールもこのメールを回すといいことがあるよ・回さないと怖いことが起こるよ(=あなたはこのメールをだれかに送るべきだよ)という趣旨のものですので、このひとはメールの送信者からも「コウアルベキ」を渡されたと感じているのだと想像しました。また、おそらくチェーンメールは届いたぶんぜんぶ棄ててしまうのではないかなとおもうのですが、何者からか渡された「コウアルベキ」は「いくつかを」「(チェーンメールと一緒に)棄てる」ので、いくつかの「コウアルベキ」は棄てないでおくべきだと認識しているところがなんとも理性的でいいなあとおもいました。蕨さん

主体はチェーンメールを回さない側の人なのですね。それとも初めて回さないことに決めたのでしょうか。「コウアルベキ」を棄てる、という行動と共に、他人の価値観に左右されずに生きようとするその潔さが心地良いです。七緒さん

多分、間違った読みなんですけど、コウアルベキを押し付けられてる主体がチェーンメールにのっけて、他人に押しつける=棄てる ととりました。
そう読むとちょっとイジワルな、でも、たかがチェーンメール たかがコウアルベキ と思ってる感じで好き。井筒ふみさん

人から押し付けられるものの代表が、チェーンメールだというところに、若干の時代の流れを感じますね(いまの子はほとんどメールしませんから)。コウアルベキにもチェーンメールにも左右されない、筋の通った主体の姿に、迎合主義のような現代の文化の対極にある意思の強さを見つつも、逆にそのようにして生きてしまえることの危うさも感じます。そのあたりはきっとバランスが大切だから、「いくつか」と思いとどまっているのかもしれませんね。シュンイチさん

「渡されたコウアルベキ」はどこか上の立場からの押し付けめいたものでしょうか。「チェーンメール」は昔でいうところの不幸の手紙の類だと思いますが(今でもあるのでしょうか?)、どちらもある種の強制力のようなものであるのが共通項のように思いました。それに屈せず棄てるというところに主体の潔さというか意思のようなものを感じます。桔梗さん

順番に should not を蹴とばしてがらくたばかりあつめる日々だ

19席 19pt 桃×2 黄×2 緑×4 Bonus

CIPHER井筒ふみかざなぎりんえんどうけいこルナク七緒薄荷。


やるべきことをやらずに、どうでもいいことばかりをやっている日々だととりました。内容はとても好きなのですが、二句目がせっかくのshould notのせいで字足らずに読めてしまうところが惜しいと思いました。英単語を入れたところが工夫になっていて目をひくので、韻律をととのえられればもっとよくなったのではないでしょうか。えんどうけいこさん

親や先生からでしょうか、「すべきではない」と言われていることをひとつずつやっていって、そしてすの無意味さに気が付いたという意味に取りました。でも「がらくた」かもしれないけれど、そうすることにもちゃんと得るものがあって、それはそれで人生の中でとても大事な時間なのだと思わせる歌だと感じました。英語表記から、それを習うであろう中2か中3くらいの、「蹴飛ばして」からやんちゃな男の子が主体のように思えました。特に書かれていないけれど、言葉遣いから主体のイメージをつけさせるのが巧みだと感じました。
手にしたものが「がらくた」だと気付いたといううことはおそらく過去を思い出しての歌だと思うのですが、それだと少し時制の表現が気になりました。あえてのことかもしれませんが…でもそれを含めて素敵な歌だと思います。かざなぎりんさん

このひとがあつめている「がらくた」は「should not(~すべきでない)」がわに含まれているもので、この「がらくた」はまわりの人間にとっては「がらくた」でもこのひとにとっては大切なものだから「should notを蹴とばして」あつめているのだと想像しました。皮肉っぽいところがいいなとおもいました。蕨さん

「がらくた」は思い返せばがらくただったというよりは、やはり周りの人から見ればがらくた、という意味のように思います。他人から見ればがらくたでも、主体には「should not を蹴飛ばして」まで集めたものです。そういうものが大切だったと思う時がいつか来るのだと思います。言葉選びの巧みさと相まって、ちょっと斜に構えているのにどこか力強い歌だと思いました。七緒さん

「がらくた」といいつつもそれは主体にとっては大切な何かなのでしょう。
他者からの「should」(すべき)」を蹴とばすのだったらわかるのですが、「should not(いけない)」なのはどうしてかなと思ったのですが、まあどちらも強制であることには変わらないのかもしれませんね。桔梗さん

愛すべきわたしであるよ回らない寿司でもカッパ巻ばかり食い

20席 19pt 桃×0 黄×7 緑×8 Bonus

村田一広CIPHERWPP岡桃代文佳えんどうけいこ寿々多実果静ジャック天田銀河森下裕隆薄荷。中牧正太久哲桔梗


回転寿司でなくてもカッパ巻きばかり食べている私なので、「わたし」が自分のことのように読めちゃって、嬉しい歌でした。WPPさん

カッパ巻き、わたしも大好きです。カッパ巻きで充分に満足してしまうような、庶民的な自分を「愛すべきわたし」といえるのがいいですね。A音が多いところものびのびした感じで気持ちよく読めて、歌の内容ともマッチしていると思いました。えんどうけいこさん

内容にとてもとても共感したのですが、それだけに下の句がもうちょっとおさまりよければリズムにのりやすいかも、と思ってしまいました。太田宣子さん

きっと「回らない寿司」でも「カッパ巻」が安いんですよね。「回らない寿司」というご馳走が食べられる場所・もしかしたらお金を奮発してお高いネタも食べてもいい状況にもかかわらず「カッパ巻」を選んでしまうのがなんとも庶民的で、「わたし」に対して好印象をいだきました。蕨さん

「わたし」はつい値段のことばかり考えてしまうたちなのでしょうか。あるいは自分で支払いをするケースではないからこその気遣いなのかも。そんな小市民的なところが「愛すべき」ところであるとしているのでしょう(どこか自嘲気味な雰囲気もしつつ)。「回らない寿司」=値段を明示されていない高価なお寿司屋さんとするなら、「でも」(回る寿司でも食べている)よりは「では」の方が「愛すべきわたし」の部分が効いてくるように思いました。桔梗さん

賛否が分かれるところかもしれませんが、二句目の「よ」に、主体のかわいらしさというかひょうきんさというか、そういうキャラクター性を感じました。一方で、結句の言いさしが少し気になりました。ここが言い切りだと、収まった印象になるのかなあと思いました。天田銀河さん

悩むべき昨日も今日もアサガオの双葉はにょこりベランダに立つ

21席 19pt 桃×0 黄×7 緑×6 Bonus

知己凛岡桃代衣未(みみ)かざなぎりん寿々多実果スコヲプメモリ森下裕隆きつね薄荷。中牧正太小林礼歩


心に引っかかっていることがありつつも、元気な生命活動を目にすると一瞬であっても前向きな気持ちになります。小さい人達とか、動物とか、このお歌のように植物とか。アサガオというと反射的に小学校の夏休みも連想しました。ぽつりさん

ひとの悩みなんてアサガオは知ったこっちゃないので昨日だって今日だって双葉が出ている(「ベランダに立つ」と表現されているのが面白いなとおもいます)のは当然なのですが、じぶんが悩んでいてもアサガオの双葉が出る・育つ=普遍的な日常の時間軸はしっかりと存在しているのだということがこのひとにとっての安心感なのかなあと想像しました。(わたし悩んでるのにアサガオはのんきに育ちよって! とネガティブな意味あいにもとれる気もしますが、わたしはポジディブな意味あいで読むほうがすきかなとおもいました。)蕨さん

「悩むべき昨日も今日も」は主体自身の姿で、それにも関わらず傍らではアサガオが成長しているのでしょう。アサガオが人の悩みを斟酌しないのは当たり前ですが、悩んでいてもアサガオの生命力に助けられているような印象を受けました。
桔梗さん

眠るべき夜はもうない下り線最終列車のひるまぬ鼓動

22席 19pt 桃×0 黄×7 緑×5 Bonus

村田一広CIPHERWPPあき文佳静ジャックひの夕雅なぎさらさメモリ金子りさ楢原もか久哲


作者はおそらく何らかの切羽つまった状況にあるのだろうと思いますが、少し抽象的だったかなと思いました。えんどうけいこさん

主体が何かを決意あるいは覚悟した、その瞬間の自分を鼓舞するような強い言葉が魅力的です。恋愛における一つ目のクライマックス的な盛り上がりを感じて好きな歌です。WPPさん

「眠るべき夜」ということは朝にかならず起きないといけないひと? だとしたら定時ではたらいている社会人? それともかならずおなじ時間に学校に行かないといけない小中高生? など、いざこの短歌を情景ってなんなのだろうと想像しようとしたときに収拾がつかなくって困る感じがしました。また、「下り線最終列車」も新幹線でどこか遠くへ行くのであればどこかに逃げようとしているような疾走感が出ますし、JRや地下鉄などローカルなものであれば帰宅途中の気だるい雰囲気になるとおもうので、もうすこし具体的な情報がほしいなあとおもいました。蕨さん

この「眠るべき夜はもうない」は、眠っている場合ではない主体の気持ちの高鳴りのようなものを感じました。「下り線最終列車」でどこかへ向かっているのかと思うのですが、いささか像が結びにくい言葉が並んでいるのでもうすこし何かあるとよいのかなと思いました。桔梗さん

「下り線最終列車のひるまぬ鼓動」がいいなあと思いました。静かな車内に響く揺れの音がドラマチックに描かれています。
「眠るべき夜はもうない」は解釈が難しかったのですが、何か日常を覆すような大きな変化を想像させられます。金子りささん

帰るべき場所を持たずに生まれ来てまた水無月に翼がおもい

23席 18pt 桃×1 黄×4 緑×7 Bonus

CIPHER知己凛伏屋なおえんどうけいこ寿々多実果ルナク静ジャックなぎさらさ天田銀河メモリあおきぼたん小林礼歩


水無月は生まれた月なのでしょうか。帰るべき場所であるはずの生まれた水無月を迎えるたびに、望まれなかった「生」を感じてしまうのでしょうか。結句「翼がおもい」の「おもい」を漢字表記されなかったことで、逆にずしんと重たく感じてしまいます。主体が自由に羽ばたける日が来ることを願わずにはいられない。知己凛さん

「翼」という言葉から渡り鳥を連想しました。移動しながら生活する渡り鳥のように、作者には安住できる場所がないのでしょう。水無月には雨がたくさん降ります。その雨にぬれた翼では重くてうまく飛べないのだろうと想像しました。巧みな表現だと思います。えんどうけいこさん

「水無月」は梅雨を指していて、帰るべき場所を持っていないせいで水無月を迎えてしまって翼をぐっしょり濡らしてしまっているというシチュエーションを想像しました。しかも「また」と言っているのでこれまでに何回もおなじことをしているのだとおもいます。翼が濡れて重たくなるのは嫌なのに、それでもこのひとが帰るべき場所(というのがなんなのかは具体的にはわからないのですが)をずっと持てないでいるという面から寂しさを感じました。蕨さん

「帰るべき場所を持たずに生まれ来て」なので、天涯孤独のような気持ちを抱えているひとなのかなと読みました。六月は梅雨もあり気持ちが沈む時期でもありますが、主体にとってはそれ以外にも何か別の要因もあるのかもしれませんね。桔梗さん

翼を持っているということは通常プラスの意味に使われますが、この歌では「おもい」というマイナスの面が歌われており、その着眼点が良いとおもいました。かつて自由の象徴だった翼は、水無月になり水を含んで重くなる。若さに任せて都会に出てきたの主体のゆれる気持ちを詠んでいるように思いました。あおきぼたんさん

ああ母よあなたの声は風となりべきべきとした雲を晴らせる

24席 17pt 桃×2 黄×1 緑×4 Bonus

CIPHERあき太田宣子あおきぼたん萩野聡薄荷。久哲


優しさと激しさが混ざりあった風のような声が聞こえてくるようです。お母さんはとても偉大で無償の愛は神様よようです。ふと思いだしましたあきさん

「べきべきとした雲」がどのような雲なのか、あるいは不本意に押しつけられた「~するべき」の比喩なのか想像がつかず、この短歌が言っている情景をうまくつかむことはできなかったのですが、風となる声をもつ「母(あなた)」はこのひとにとって優しい存在なのだろうなあとおもいました。蕨さん

僕もはじめて知りましたが、冪冪(べきべき)という言葉があるようです。「雲や塵などが一面におおうさま(デジタル大辞泉)」とのこと。この場合、何かをすべき、という重い義務感を雲になぞらえているのかもしれません。
この「母」は、肉親としての母親ととらえてしまうとウェットな感じになってしまうと思います。声が「風」に変わるくらいなのだから、超越的な『母なる自然』のような存在なのでしょう。森下裕隆さん

「べきべきとした雲」というのががんじがらめになってしまった表現として効いていると思いました。先の方も評されているように母の声は自然と一体になっていて、一読、南風が吹いたように感じました。この季節にもぴったりの歌ですね。あおきぼたんさん

「べきべきとした」は雲が一面おおっている「冪冪」でもあり、「~すべき」の意味も含んでいるのでしょうね。世の中にはいろんな「母」がいて、口やかましくあれこれいう場合もあるのでしょうが、この主体の母はどちらかというと、主体がそういった言葉を他者から向けられてもそれを晴らしてくれるような人なのでしょう。桔梗さん

この恋はするべきじゃない 夏の日にチキンカレーを煮込みつづけた

25席 17pt 桃×0 黄×6 緑×11 Bonus

木蓮村田一広CIPHERせしん知己凛伏屋なお文佳えんどうけいこ寿々多実果静ジャックなぎさらさ天田銀河きい森下裕隆金子りさ久哲


チキンカレーを煮込んでいる間、ずっと自問自答を繰り返していたのでしょうね。するべきじゃないとわかっていても、恋はしてしまうのですもの。お鍋の底が焦げ付いていませんように。知己凛さん

頭でわかっている通りにできたらいいのに、と思いながら、それじゃつまらないとも思います。楽な恋はないですよね。ぽつりさん

本当はこの恋をすすめたい、でも臆病(チキン)なので踏み出せない。それで「この恋はするべきじゃない」と自分に言い訳しているように読みました。きつねさん

するべきじゃない恋というのはぜったいに存在しますし、するべきじゃないからこそその恋に流されてしまうということも起こりうることだとおもいます。そのような恋を「するべきじゃない」と理性をたもつために選んだ行動が「チキンカレーを煮込みつづけ」ることというのが面白いなとおもいました。逆に、するべきじゃない恋の相手にチキンカレーをつくってしまっているのだとしても面白いシチュエーションだなあとおもいます。蕨さん

道ならぬ恋に落ちる手前で理性が働いて、自らを律しているような場面でしょうか。チキンカレーを煮込むという行為が恋の進行を妨げている(その間に考えている?)という意味合いをもつのかなと思うのですが(主体のなかでは)、二句切れの勢いのある感じと「つづけた」の結句がちょっと合わないように思いました。
桔梗さん

ビーフカレーでもポークカレーでもないチキンカレー、しかも夏の日というのがポイントなのですね。きっとすごく辛いカレーなんだろうなぁ。真っ赤でスパイシーなものをさらにぐつぐつさせ、目も痛いし汗も出る。だめだとわかっているのに惹かれてしまう自分をいじめているように読みました。あおきぼたんさん

耳鳴りのような雨音響く日はあなたの声を充電すべき

26席 17pt 桃×0 黄×6 緑×5 Bonus

木蓮村田一広CIPHER知己凛あきえんどうけいこなぎさらさ天田銀河中牧正太淡海わこ小林礼歩


「あなたの声を充電すべき」というのが、このひとにとって「あなた」の声は心地良くって大切なものなのだろうなあとおもえていいなとおもいました。「耳鳴りのような雨音響く日」のようないらいら・むしゃくしゃするような日こそ大切な声を聞きたくなるというきもちもわかるような気がしました。蕨さん

あなたの声を聞くことで、雨音も心地よくなるのでしょう。自分を癒してくれるすべを知っているのにできないもどかしさを感じます。
知己凛さん

「耳鳴りのような雨音響く日」で心細かったり不安だったりするときには「あなたの声」が聞きたい、ということかと思うのですが、あえて「充電」である意味がいまひとつ取れないように思いました。
桔梗さん

面白い詠みですが、じゅうでんすべき で読んだ感じが濁りますね。歌意は取れますし共感性は高いですが、上、下ともに内面ですから、下の句で具体的行動を見せた方が、僕は好みですね。久哲さん

また臭くなつちやうねつて笑ひ合ふ 髪濡れたままバーベキュー、夏

27席 13pt 桃×0 黄×4 緑×7 Bonus

岡桃代小泉夜雨かざなぎりん御殿山みなみひの夕雅七緒きい森下裕隆金子りさ


こういう「べき」があったんだ! と思いましたが、海水浴に来た砂浜での様子がいきいきと描かれていて、いいお歌だと思いました。明るくからっとした清々しさを感じました。岡桃代さん

夏らしさが五感で伝わってくるような歌ですね。かくし題もなるほど、面白いです。かざなぎりんさん

「べき」ってこのように詠みこむこともできるのだなあとびっくりしました。ただのバーベキューでなく「髪濡れたまま」バーベキューをしているのが、夏がもっている青春の雰囲気であったりきらきらした季節感であったりをぴったりと表現していていいなあとおもいました。また、「髪濡れたまま」だと髪にバーベーキューのにおいがすごくつきそうだなというのも想像できますし、それに対して笑いあえるようなひと(たち)と過ごせる夏ってすてきだなあとおもえてすきです。蕨さん

あまり旧仮名に詳しいわけではないので自信はないのですが「ちゃう」は「てしまふ」の音便なので「ちやふ」ではないのかな、という気がします。また題の消化についても、個人的には題は「音」でなく「意味」で消化してほしいと思うタイプなので、あまり賛成はできませんでした。
ただ、歌としては非常に爽やかで、いかにも楽しそうな青春の空気が伝わってきて、とてもいい歌だと感じます。髪濡れたまま、が具体的な描写として鮮明で、読点を置いた結句の『夏』も晴れやかな季節、心情の表現として印象的でした。宮本背水さん

歌そのものの評価とは関係ないことですが、題の消化の仕方は個人的には面白いのではと思います。情景の切り取り方が面白く、青春めいたイメージが凝縮されていつつも、体感的にも訴える表現があって、楽しさが良く伝わって来ました。ただ「髪濡れたままバーベキュー」という表現でじゅうぶんに夏であることは伝わっているので、さらに「夏」と置くとやや駄目押しのようにも思えました。スコヲプさん

「また臭く」の「また」が、一度匂いを(シャンプー等で)落としたのにまたということなのか、臭さが増すということなのかでちょっと解釈に悩みましたが、いずれにしてもおそらくふたりか仲間たちで海へ出かけ泳いだ後のバーベキュー、ということでとても夏を満喫している様子が感じられる歌だと思いました。「髪濡れたままバーベキュー、夏」が何だか旅のポスターに使われるキャッチコピーのような感じもします。
桔梗さん

歌題について、こういう詠み込み方もありだとおもいますし、一首くらいはこういうお歌があってもたのしいなあ、とはおもいましたが、奇をてらっただけでおわってしまっていないかという疑問も残りました。歌について、さわやかな夏の情景がいいですね。おそらく若者どうしのさわやかな会話を含んで軽やかに歌われているのに、歌自体は旧仮名づかいで書かれているところ、ふしぎなノスタルジーを感じさせてくれました。「ちやう」は「ちやふ」かなあ、と、わたしもおもいました。西村曜さん

そのあかきうろぐべきものと知れイヴよりれし子なるわたくし

28席 12pt 桃×1 黄×1 緑×2 Bonus

小泉夜雨寿々多実果宮本背水中牧正太


「あかき洞」は女性器でしょうか。神より与えられたそれは恵みであるのだ。それはよろこぶべきことなのだ、と自身に言い聞かせているのかなと思いました。女性に生まれたことに苦悩しつつ、抗い昇華しようとする心。痛々しさと輝かしさの混ざり合った深みのある歌だと思いました。中牧正太さん

まず、ことばの感じ(「祝ぐ」「生れし」)がむつかしいなあという印象を受けました。「イヴ」だから旧約聖書関連のことを言っているのかなあとおもってネットで調べながら考えてみたのですが、うまく解釈することができませんでした。すみません……。蕨さん

「そのあかき洞」は子宮の比喩でしょうか。「イヴより生れし子なるわたくし」は「わたくし」自身であり、人間すべてということでしょう(キリスト教的には)。イヴは原罪により出産の労苦を得たというを考えることを思ったときに「祝ぐ」ことではないけれど、生命を生み出す場所としての畏敬の念を持て、みたいな意味合いかなと読みました。女性礼賛的な意味も含むようにも思うのですが、「祝ぐ」が個人的にはちょっとしっくりこない感じがしたのと、「その」という指示語の距離感がやや微妙…
桔梗さん

少し言葉が飾られすぎているかなと思いました。小川けいとさん

いくたびもきみは売りたる『恐るべき子供たち』とふ本をまた買ふ

29席 11pt 桃×0 黄×3 緑×4 Bonus

和沢舞衣文佳井筒ふみ御殿山みなみ寿々多実果金子りさ薄荷。


意味が汲み取れなかったです。衣未(みみ)さん

『恐るべき子供たち』は主体の愛読書なのか、それともきみに読んでほしくて買ってくるのか、ともかくきみはその度に売り払ってしまう。本が気に入らないのか主体の思惑(?)を退けたいのか。小説『恐るべき子供たち』の中にヒントがあるのでしょうが未読ゆえにこの歌を読み切れませんでした。何やら不穏な感じがして気になる一首。WPPさん

コクトーですね。大人になったら、もう読まないかな、と思って手放したのに、また買ってしまう。売ったのも買ったのも「きみ」その人だと思って読みました。井筒ふみさん

コクトーですね。大人になったら、もう読まないかな、と思って手放したのに、また買ってしまう。売ったのも買ったのも「きみ」その人だと思って読みました。井筒ふみさん

ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』はエリザベートとポールという姉弟が主人公で、父親はひどいひとだし死んでしまうし、母親も死んでしまうし、ポールがあるおんなのこといい感じになっていくのかなあとおもえばエリザベートが仲を裂こうとするし、最終的に姉弟も死んでしまうし、けっこうえげつない小説です。この『恐るべき子供たち』という小説を売ったりまた買ったりする「君」は危うさもあり、狂気的な部分もあるひとなのかなあとおもいました。ほかの小説(恋愛小説やファンタジー小説)だと「君」に対するちょっと不気味なキャラクター性はここまで生まれなかったのではないかなとおもいます。蕨さん

「いくたびも」「売りたる」なので、きみは「恐るべき子供たち」を売ったり買ったり売ったり買ったりしているのでしょう。重く暗い小説でも、その重さや暗さゆえに惹きつけられることは多々あります。こんな本は手放してしまおうと思って売るけれど結局また買ってしまう、きみはこの本にすっかり魅入られてしまったのだと思います。ナタカさん

人生のなかで何回も繰り返し読める本があるのは素晴らしいことだなあ、と個人的には思いますが、この「きみ」の場合は『恐るべき子供たち』に対して複雑な思い入れがあるようです。
僕も『恐るべき子供たち』は未読なのですが、この歌の主体も、この小説について、タイトルくらいしか知らないのではないか、と感じました。ごく親しいひとが、自分には入っていけない世界に対して深い執着を持っている。それを傍観するしかない自分…という状況と読みました。森下裕隆さん

サクランボが真っ赤になって呼ぶからさ そろそろ帰って食べてあげなきゃ

30席 9pt 桃×0 黄×2 緑×4 Bonus

CIPHER和沢舞衣WPP寿々多実果スコヲプ淡海わこ


帰るべき理由を誰かに言い訳しているのか、自分に言い聞かせているのか。サクランボというのは待っている人のことなのかなと思いました。寿々多実果さん

題にやや違和感を感じながらも、言い回しの可愛らしさに惹かれました。WPPさん

いま家の冷蔵庫にあるサクランボはわたしのサクランボやからわたしが食ったらなあかんねん、というじぶんのサクランボにたいするこのひとの変な義務感が感じられて面白いなとおもいました。「サクランボが真っ赤になって呼ぶ」というのもこのひとの主観でしかないのですが、このひとのサクランボだったらほんとうにそんなことをしてきそうだなとおもえてきて、人生最大のピンチ! というできごとでもないのに妙に性急さを感じさせる短歌だなあとおもいました。蕨さん


かわいらしいようで、でも意味深で、歌としては面白いと感じました。ただ「べき」という題を考えた時、ちょっと題との関連性が薄いようにも感じました。天田銀河さん

たとえば主体の郷里がサクランボが名産地で、主体自身は今は違う土地に住んでいる。近くの八百屋さんやスーパーで地元産のサクランボを見かけて何だか呼ばれたような気持ちになった、というような意味で読みました。昔から馴染みのある食べ物に親しみを持っているのでしょうね。ただすでに指摘のあるように「べき」的要素はちょっと弱いように思いました。桔梗さん

「呼ぶからさ」「食べてあげなきゃ」の言い回しが可愛らしいです。ですが、やはり、題の要素は薄い気がします。「べき」というほどの緊急性が感じられる表現の方が、面白みが増すと思います。薄荷。さん

可愛らしいお歌で好感を持ちましたが、前の方が書かれているようにお題である「べき」との関連性が弱いところが惜しく思います。薊さん

べきべきを部屋の四隅へ放り投げ淀んだ夜の自由を泳ぐ

31席 0pt 桃×0 黄×0 緑×5 Sorry

CIPHER岡桃代小泉夜雨淡海わこ


「~すべき」がある生活って不自由で息苦しいから、「~すべき」なんて放り投げて息苦しい生活から脱出しよう、でも「~すべき」がなくって自由なはずの夜も実は淀んでいて綺麗ではないのだ、というちょっとした皮肉がこめられている短歌なのかなとおもいました。蕨さん

この「べきべき」は自分がしなくてはいけない事柄なのでしょうか。それらをなんとなくやる気になれずに自分から遠ざけるために放り投げてしまった(でも解決はしていない)ような印象です。「自由を泳ぐ」はなんとなくスマホやネットに現実逃避しているような光景を想像してしまったのですが、全体として抽象的な表現が多いのが気になります。桔梗さん

以上31


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≪ 33代目うたの人35代目 ≫

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