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ゆるすことまたゆるすことくりかえしさやえんどうは裸になりぬ


何度も読みました。少ない語句で詠ったひとつの行為に、心のありようが実によく映っていると思いました。私もこういう歌が詠みたい。裸に剥かれた豆は主体の心のようでもあってどこか心許なげです。主体の胸のわだかまりはきれいに解決されてはいないのじゃないかな。それでも繰り返し許すことを続けながら日々を過ごしていくのでしょう。そしてそれは主体に限らず誰しもがどこかで何かでしていることでもあり、読み手に深い共感と慰めをもたらしてくれるように思います。
WPPさん

一番胸にじーんときた歌でした。皆だれかをゆるしだれかからゆるされて生きているのだと改めて感じました。さやえんどうは剥かれて裸になるのにその一字だけが漢字であとは全てかなというところにも心を惹かれます。
寿々多実果さん

誰かの罪を許すことも、誰かに心を許すことも、どちらの「ゆるす」も、殻を剥く行為に似ているように思います。ゆるすことの繰り返しで、人は人と関わり、生きていくのかもしれません。さやえんどうは剥かずとも食べられますが、その殻まで剥いて裸にするというのが、心の柔らかい部分をさらけ出すような優しいニュアンスを感じて良いと思いました。
ナタカさん

私はこのお歌に主体の苦しみを感じました。許すという精神領域での作業と豆の莢剥きを重ねていますが、その喩えの見事さのみならず、結句では「裸」という一字を以て無防備な豆の中身すなわち主体の心がコロンと置かれる…そんな視覚的効果も効いています。裸となるまで繰り返される「ゆるし」の作業は柔らかなさやえんどうを引き裂き、中身を抉り出す行為です。お歌全体のひらがなの優しさの裏にはそんな苦しみがあるように感じます。そんな苦しい作業でも行おうという主体はやはり、とてもやさしい人なのかもしれませんね。表現力豊かな素敵なお歌です。
五條ひくいちさん

ひらがなが「ゆるす」という行為のやさしさを視覚的に表しているようで惹かれました。その一方「ゆるす」ことはさやえんどうを剥き、中身を無防備に晒す不安な要素もあり、深く読み込める素敵なお歌だと思いました。
倖さん

力任せにしてもうまく豆は取り出せません。そう言われればそうだなあ、というくらい、あの作業を意識したことはなかったのですが。淡々と筋をとって、開いて、人間も本音がぽろぽろとこぼれるのかなと思いました。静かな優しい光景が浮かびました。
仙冬可さん

「ゆるす」の反復からはじまり、さやえんどうの「裸」というつるりとした描写で終わる美しい歌です。歌意としても、許しを重ねていくからこそ硬い鞘を脱がされて本質をやっと見せられるようになる、という摂理が表されており、なるほどな、と思わされます。しかし、さやえんどうを剥く過程がそこまで複雑ではないので、やや表現として乖離があるのでは?許しを幾度も重ねることを生かした表現であれば、もう少し歌意がとりやすいものになるのではと思います。
せしんさん

「ゆるす」という行為が持っている尊さと痛ましさを、さやえんどうという具体で上手く表現しています。ひとつの哲学を提示して、かといって声高にもならない。秀歌だと思います。
森下裕隆さん

さやえんどうはそのまま食べる(筋は取るけれど)のが普通だと思うのですが、この場合「裸」というのは中の豆の状態のことをさしているのでしょうか。
さやえんどうのことを言いつつも、自身のことを投影しているのでしょうね。
桔梗さん

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