32代目総選挙を開催します。

 

教員席で『YELL』を歌う見えるのは十年前のわたしの顔だ

十年前の自分に大丈夫がんばれとエールを送っているのでしょうか。同時に教え子たちのこれからの十年について祈りのような気持ちもあるのでしょう。私は子どもが自分の母校を卒業し、保護者席から子の成長と過去の自分の姿を重ねて見ながら号泣しました。

食べ終えた串が卒塔婆のように立つ女子会あとのテーブルの上

光景が見えるようです。女子会の話題も悪口や愚痴や噂話もあり飲んで話して食べて褒めあったり慰めあったり、テーブルや串もぐったりするほど盛況な飲み会だったのでしょうね
他の歌と違う切り口が新鮮でした。

卒論のテーマは『愛の卒業』できみのことだけ思い出しつつ

あの人と卒業式をすっぽかし青春ほどく風の二丁目

とても詩的なお歌で意味はよくわからないんだけど、読後感が爽やかで好きです。

最後って言えばなんだかひかりだすあんなに嫌いだった制服

どうして制服が嫌いだったのか想像が膨らみます。志望校に落ちて入学した滑り止めの学校だったのか、もしくは、家計を考えて公立の学校に進学したため

途中で送信しました。すみません。↑

制服があまり可愛くない学校だったのか。いずれにしても、卒業の日にはひかりだして見えるほど、充実した学校生活だったのだなと伝わってきました。

ゆくりなく生きるわたしをありがとう

耐震校舎

卒業します

分かち書きから卒業式の「呼びかけ」を連想しました。でも卒業するのは耐震校舎でいいのかな??

成し遂げてないことばかり走馬灯 蛍の光はうまくうたえない

走馬灯、ということは死の直前なのでしょうか。蛍の光はお別れの時によく歌われるうたですよね。悔いばかり残っている最期というのは悲しいものですね。最後の8音が少し気になりますが、いいうただと思います。

走馬灯から死を連想したので、はじめは死の間際の話かと思ったのですが、これは卒業式の合唱の真っ最中で「あれもできなかった、これもできなかった。やり直したい。こんなんで卒業していいのだろうか」とぐるぐる考えていて、うまく歌えなくなっちゃったのだと思いました。
でも死の間際の読み方でもおもしろく読めます。特に上の句、もう少し整理できるかなとも思いました。

生きてゆく知恵を身につけ雛鳥は卒業試験のように飛び立つ

雛鳥が飛び立つ様子を卒業試験と表現されたのが秀逸だと思いました。上の句に作者の優しさを感じます。絵も浮かびやすいし、温かいお歌で大好きです。

「卒業」を詠まれたお歌は数多くあったのですが、生徒さんや学生さんではなく雛鳥を主役にするという視点が素敵だなと思いました。
巣立ちは確かに卒業試験なのでしょうね。
無事に合格して立派な親鳥となることを祈ります。

母親の青春のようで処分することのできない卒業証書

この卒業証書が作者のものなのか、お母さんのものなのかはちょっとわからなかったんですが、自分では愛着はないけれど、親が大切してるから捨てられない想い出の品ってありますよね。

遺品整理の場面でしょうか。卒業証書の扱いは自分の物でも悩ましいものがあります。それが(もし)故人であるなら尚更。青春時代の思い出ではありますが、子々孫々取っておく物でもないし……悩ましい。

皮肉な見方なのですけど、作者の卒業証書だと思って読みました。
子ども自身は何ほどの価値も見出していないが、母は子どもの成長、というか青春の象徴と思ってる。あるいは不本意だった母の青春を子どもがやり直してくれたと感じてる。だから実家に帰るとでーんと取ってあったりする。捨てられない。困ったな。て感じ。

すごく意味は理解しやすい歌なのですが、卒業証書を母親の青春に重ねてしまう心境には少し違和感がありました。
まったく同じ文章で全員に配られる卒業証書って、個人的にはあまり思い入れを持てるものではなかったので…。処分しがたいアイテムであることは確かなのですが、卒業証書は、アルバムや手紙の束なんかとは真逆の存在であるように思います。

もうここで会うことのない日々たちに手を振るように舞い散る桜

手を振りたい主体はだれなんだろう?
日々たち、という言葉のチョイスは三年間?という時間そのものを表していてとってもすきなんですけど、舞い散る桜という結句が美しすぎてなんだか馴染めない。ごめんなさい。

うそじゃない嘘をみんなで分けあった 卒業してもずっとともだち

うそじゃない嘘というのが読み取りきれませんでした。深刻な嘘ではない、遊びの嘘ということでしょうか。下の句にひとひねり欲しいなと思いました。

口にする誰もが、約束が守られはしないだろうことをうっすらと感じている、卒業式の1シーン。あの儚さを思い出して一緒に泣き笑いしそうになりました。泣き笑いの意味は彼女たちとはもう違うのだけれど。

とてもミステリアスなお歌だなと思いました。ちょっと湊かなえさんの小説のような世界観といいますか、この同級生たちは何かの嘘をついたまま罪を共有して卒業していくのですね。卒業してもずっとともだちというところ、背筋がゾッとします。

下の句が「うそじゃない嘘」なのだと思いました。そうはならないこともわかっているけど、願望も込めて今は本心でそう言っていることを「うそじゃない嘘」と表現したのだと思います。
でもたしかに三つめの評のような読み方もできて、「分けあった」が特にそういうイメージにさせるのかな?とも思います。

「なに食べる?」卒業祝いと笑む母になんでもいいとは言わない努力

最近は、卒業とか成人とか結婚のセレモニーで親への感謝を伝えなければならないというような風潮があるように感じるのですが、感謝って強制されていうものではないですよね。確かに親は子の成長のために心血を注ぎますが、それは親としては普通のこと。子ども側はただ素直に自分を誉めて喜んでほしい。主体は親を思いやれる優しい子ですね。食べたいものを答えてあげてください。

桜色した弾丸で撃ち抜いて 君が構える卒業証書

卒業を自分で決めるさみしさよ振り返るたびまだ揺れている

声援にまごう何とぞ何とぞの老爺の祈り 春の選抜

むせかえるような香りの沈丁花卒業までは先生ですか

これ、どっちの意味でとったらいいのかなあ?
卒業したら 恋愛対象としてセーフになって嬉しい、て意味なのか、せめて卒業までは先生と生徒でいられる、て切ないうたなのか?
沈丁花は春の花だけどどうしてここで、沈丁花?
でも、多分、この歌とっても上手い!わたしの教養がおいつかないだけで。

三年間通ひつづけた図書室にもう明日からわたしがゐない

三年間、図書館へ通い続けるとは、よほど本がお好きなんでしょうね。図書室の司書の先生ともかなり顔なじみになっていたことでしょう。明日からは馴染みの本棚、机、司書の先生ともお別れ。まだそこに残り続けるものと、旅立ってゆくものの対比がとても好きです。

卒業して明日から図書室には来ることがないという、内容としてはそれだけのシンプルな表現から、作者の心情が読み手に充分伝わってくる見事な歌だと思います。そこで過ごした三年間にはきっといろいろな思い出があるのでしょうね。図書室という具体的な場所が示されているため、作者が来なくなってもそこにあり続ける図書室の情景が見えてくるようです。旧仮名の使用もマッチしていて効果的だと思います。

私も毎日図書室で過ごす生徒だったので、内容にはとても共感するのです。でも、旧仮名遣いにする意味がイマイチよくわからないです。自分の学生生活を振り返る時に、古文の授業くらいしか旧仮名遣いに触れることはなかったので、あまりピンとこないんですよね。でも、この作者の方にとっては旧仮名遣いがこだわりなんだろうなあ。良い読者でなくてごめんなさい。

図書室とは学校の図書室のことだと思いますが、「学校」とは言わないところに、学校(クラス)にあまり馴染めなかったであろう主体を想像しました。本への愛情と、三年間主体を迎え、見守り続けてくれた図書館との別れを惜しむ気持ちが感じられて、良い歌だなと思いました。

作者にとって図書室は特別な場所だったのでしょうね。
そこにどんなドラマがあったのかは全く描かれていない。
むしろそこに旅たちの切なさを感じます。

涙ぐむ同級生に挟まれてきつく丸める卒業証書

月並みな言葉ですけどありがとう微笑むようにメジロ飛び立つ

最後まで馴染めなかった教室の無数のキズが輝く さらば

ほろ苦く重き 身体からだを卒業し享年 百三ひゃくさんひかりとならむ

かいじゅうはそつぎょうしたの、とたっくんの微笑み 叔父さん少しかなしい

平仮名の台詞と句読点と1字あけとルビとなると
リズムが崩れて読みにくいなって思いました
かわいい歌なのですとん読めた方が伝わるように思います

巣立ちの日廊下でひとつ伸びをしたこの窮屈さは悪くなかった

青春の分かれ目のワンシーン、そこに現れる複雑な心境を余すことなく表現できていると思います。
ふと感じたのですが、この主体は人間と限定しなくても、またおもしろいかもしれません、って脱線ですかね、スミマセン。

窮屈さは同時に守られているということですよね。自由になりたいけどこの心地よさから離れてしまうという寂しさや不安のような気持ち。でも主体は若い。この先どう道を拓いていくのか楽しみです。

学校生活を窮屈だと感じながらも卒業の時に悪くなかったと思えるのは、それだけ充実した日々だったのでしょうね。「廊下でひとつ伸びをした」が、これからまだまだ伸びしろがあるであろう主人公の若さと重なって心地よい表現だと思いました。

胎盤を卒業したら進むんだ愛の鎧を身につけて、いざ

わたしの理解力と想像力が足りないのかもしれませんが、「胎盤を卒業」とは何のことかよくわからず、「愛の鎧」も漠然としていて意味のとりにくい歌でした。いずれもおそらく暗喩ではないかと思いますが、上の句か下の句はもう少し通じやすい表現の方が良かったのではないかと思います。

胎盤を卒業というのは、外界に出て肺呼吸を始める、我々人間にとっては「誕生」の瞬間です。私はこれを「独立」と表現するのが好きなのですが「胎盤からの卒業」というのが新鮮で面白くインパクトがありました。主体が赤ちゃんですから、愛の鎧という親主観ではなくこどもならではの何か別の装備が表現に入っていたら、更に世界が広がったかもしれません。

校長の声がゆっくり遠のいて視線の先に青空が射す

卒倒、ですね。経験はないのにまるで実体験のように光景が浮かぶ歌です。下句の爽やかさのギャップ感もおもしろい。青空が見えていると言うことは運動会の開会式か、はたまた屋外タイプの全校集会なのか……。

卒塔婆の新木の香も抱きつつ子らは血筋のはなし聞きおり

卒塔婆っていつ作るのか分からないんですけど、新木だから亡くなって間もないんですよね。だから哀しみも新しい。哀しみと新木の香の両方を抱きつつ、子=若い世代は亡くなった方の血筋というか生い立ちを年長者から聴いている。世代間の哀しみの質の違いもうかがえる歌だと思いました。

もう若くないんですよと諭されて真顔でふける卒コンの夜

ふたりだけ流さなかった白線に繋がっている風の糸口

曇天の朝よお願い泣かないで卒業式は笑ってたいの

雨が降りそうな空を詠んでいますが、実は泣き出しそうなのは主体なのだろうな、と思いました。笑って卒業できます(ました)ように。

前カゴを花で満たしたヤンキーの自転車が行く卒業の日よ

みんなから愛されているヤンキーだったのでしょうね。少し照れながら自転車をこぐヤンキーが目に浮かびます。今までやんちゃしていたヤンキーも卒業のときを経て大人になっていくのだろうなと思いました。

行く、とあるので、卒業式に向かっているようにも思えました。そうすると、花はお祝いでもらうものじゃなく、人造の花飾り、そういう下町で見かけるような、デコってある自転車かと。それは楽しい風景だと思いつつ、違ってますよね…m(__)m

この花は、自転車の持ち主のヤンキーが卒業祝いにもらったのか、それとも、卒業していくヤンキーの先輩たちのために後輩のヤンキーが用意した花なのかはわからなかったんですが、意外性があって面白いお歌です。ヤンキーにも可愛いところがあるのだなと微笑ましくなります。

卒業式の後だと思いました。「行く」は「通り過ぎる」という意味で使われているのではないかと思います。ちょっとかわいいヤンキーですよね。

袖丈が足りなくなった学ランの胸に真っ赤な造花輝く

入学するときは大きめの制服を買っていたのが、卒業のときには袖丈が足りなくなっていたのですね。男子は急激に背が伸びますからね。真っ赤な造花のおかげで、卒業の二文字がなくても卒業式とわかるのがいいですね。

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≪ 31代目うたの人33代目 ≫


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